のである。趣味、感情、理想、それから亨一の主義と小夜子とは全くかけはなれたものであつた。殊に外圍からの干渉は、二人が育てた九年間の愛情をも虐殺してしまつた。小夜子は別《わかれ》て靜岡の姉の家に身をよせたが、亨一は之に對して生活費を爲送《しおく》る義務を負つて居た。毎月|爲替《かはせ》にして郵送するのがすず子の爲事の一つであつた。亨一が一切の家政をすず子に任せたとき、すず子はこの爲事を快く引きうけた。それから一年に近い間、この小さい爲事は滑《なめらか》に爲遂げられて來たのだが、今日はすず子に堪へられない惡感《をかん》を與へるのであつた。
 しばらくしてすず子は泣聲をやめた。けれども苛立《いらだ》つ神經は鎮まらなかつた。
「離縁した女に貴方がどうして義務を負つてるんですか。」すず子は聲をふるはして云つた。
「そんなことを云つたつてしやうがないぢやありませんか。」
「私ねえ。前々から疑問でしたの。貴方は小夜子さんとは他人となつた方でせう。それだのに……。」
「そんな事を云つたつて、女の生活ぢやありませんか。どうするにも方法がつかないんです。」
「けれども理由のない救助は、救助する方もをかしいぢやありませんか。」
「理由がないつて、全然ないとも云はれませんよ。」亨一の眉宇には迷惑さうな色がありありと見えた。女はそんなことには何等の頓着がない。
「『もと妻であつた』其《それ》が理由でせう。然し今は、『あかの他人』、さうでせうもう。」
「其事はよさうぢやありませんか。」
「ねえ、さうでせう。今は他人でせう。その他人の小夜子さんと貴方との間に何の連鎖も殘つて居ない筈ですわ。戸籍と云ふ形式の上にでも、愛情と云ふ心靈の上にでも。ですけど生活費と云ふ經濟上の関係丈けは保たれて行つてゐますのねえ。私に、私にしても貴方が飽きてゐらしつたら、私もやつぱり、私も……。」女は込み上げる涙を押へて、
「私も只お側に居ると云ふ丈け、生命《いのち》を維《つな》がさせて下さると云ふ丈け、なんにも、なあんにもないんですわねえ。」女はだんだんやけになつて、泣きくづれた。
 亨一も眞顏《まがほ》になつた。こんなときは、いくら理合《りあひ》をつくして云つても何のききめがないものであると云ふことは明らかであるけれど、やつぱり默つて居ることが出來なかつた。
「愛情がどうのかうのつて、私と貴方との間にそんなことを云ふ
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング