はお前か。」裁判長はこの白癡《ばか》らしい顔貌の持主に重ねて問うた。
「はい。」
「お前は一審で懲役一年に処せられたが、その判決が不服だと云ふので控訴したのか。」
「はい。」
「どこが不服だと云ふのだ。刑が重いと云ふのか。犯罪の事実が無いと云ふのか。」
「はい、あの私は切手を、切手をはぎとつたのでは………」
「よろしい。待て。」裁判長は記録を繰つてある頁《ぺえじ》の処に目をとめた。
「お前の生れはどこだ。」
「私の生れは…………」
「××県××郡名取村三百二十八番地だな」
「はい、いいえ、わとみ村であります。」
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(此被告発音頗る不明瞭なり、わとみとなとりとのききわけが出来ない程に不明瞭なり、此点一審の記録は既に誤りあり、今亦此裁判長も判別に苦しめり、此後とも被告の答弁に聞とれぬ発音多かるものと知るべし)
[#ここで字下げ終わり]
「なに、わとり村。」
「わとみ村であります。」
「わとみ、わは平和の和か。」
「はい。」
「とみは富《ふ》の字か。」
「はい。」
「和富村《わとみむら》三百二十八番地。よろしい。住所は」
「住所は…………」
「今ないのか。」
「はい。」
裁判長は型の如く訊問を終へたがやがて又記録を繰つて一審判決の原本を見出した。
「一審判決によると、お前は××郵便局集配人として勤務中、第一、年月日××町××番地の郵便函の中より御大葬の絵葉書一組を竊取《せつしゆ》し、第二、年月日××町××番地の郵便函の中より封書に貼用《てふよう》しありたる三銭の郵便切手を一枚宛剥ぎ取り竊取し、第三に、年月日某取次所より某局へ集配すべき小包郵便物の中より軽便懐中電燈一個を同じく竊取したと云ふ事実である。之が不服だと云ふのだな。」
「はい。」
「どうして不服だと云ふのだ。盗んだことがないと云ふのか。」
「切手を…………切手をはぎとつたことなどはありません。」
「切手はとらない。そんな事があるか。お前は一審に自白して居るぢやないか。」
「私、はぎとつたなどと云はなかつた…………」
「云はない。お前は云つてるぢやないか。」
「切手がはげて居ました…………其日は大雨がふりまして…………」
「切手がはげて居た。どうして。」
「其日は大雨がふりまして…………」
「そんなお天気の事なんぞはどうでもいい。」
「はい。あの雨がふりまして、手紙がぬれて…………」
「手紙
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