があるようだ」そういって彼は考え深そうな目つきをした。
「ただこれだけのことははっきりと今でも君に言える。僕は身体が半分腐って来た今でも決して昔の考えをすててはいないよ。それは決して瘠せ我慢ではなく、また、何かに強制された気持で無理にそう考えているのでもないんだ。実際こんな身体になって、なお瘠せ我慢を張るんでは惨めだからね。――僕のはきわめて自然にそうなんだ。そうでなければ一日だって今の僕が生きて行けないことは君にもよくわかるだろう。……それから僕は、どんなことになっても決して、監獄で首を縊《くく》ったりはしないよ。自分で自分の身体の始末の出来る限りは生きて行くつもりだ」岡田はその時、持ち前の静かな低音でそれだけのことを言ったのである。
その話をしてから一週間ほど経ったある日の午後、洋服の上に白衣を引っかけた一見して医者と知れる三人の紳士が突然岡田の監房を訪ずれたのであった。扉をあけて何かガヤガヤと話し合っている様子であったが、やがて「外の方が日が当って暖かくっていいだろう」というような声がきこえ、岡田を先頭に四人が庭に下り立って行く姿が見えた。而してそこで岡田の着物をぬがせ、彼は犢鼻褌《ふんどし》ひとつの姿になってそこに立たせられた。――ちょうどそれは癩病患者の監房のすぐ前の庭の片隅で、よく日のあたる場所であったが、少し背のび加減にすると太田の監房から見る視野の中に入るので、彼は固唾《かたず》を呑んでその様子を眺めたのである。
三人のうち二人は見なれない医者で一人はここの監獄医であった。その二人のうちの年長者の方が、頭の上から足の先まで岡田の全身をじっと見つめている。岡田は何かいわれて身体の向きを変えた。太田の視線の方に彼が背中を向けた時、太田は思わずあッと声を立てるところであった。首筋から肩、肩から背中にかけて、紅色の大きな痣《あざ》のような斑紋《はんもん》がぽつりぽつりと一面にできているのだ。裸体になって見ると色の白い彼の肌にそれは牡丹《ぼたん》の花弁のようにバッと紅《あか》く浮き上っている。
医者が何かいうと岡田は眼を閉じた。
「ほんとうのことをいわんけりゃいかんよ。……わかるかね、わかるかね」そういうような言葉を医者は言っているのだ。よく見ると、岡田は両手を前に伸ばし、医者は一本の毛筆を手にしてそれの穂先で、岡田の指先をしきりに撫《な》でているので
前へ
次へ
全40ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング