病と相対しながら、ただ手を束《つか》ねて無為に過すことの苦しさは、隣りの男とでも話をする機会がなければ発狂するの外はないほどのものである。新入りの男はしかし、ただ一言の話をするでもなくまた報知機をおろして看守を呼ぶということもない。すべて与えられたもので満足しているのであろうか。何かを新しく要求する、ということとてもないのだ。しかも運動時間ごとに見るその顔は病気に醜く歪《ゆが》んではいるが、格別のいらだたしさを示すでもなく、その四肢は軽々と若々しい力に満ちて動くのである。
 太田が怪訝《けげん》に思うことの一つは、その男が今まで空房であった雑居房にただひとり入れられているということであった。今四人の患者のいる雑居房は八人ぐらいを楽に収容しうる大きさだから、彼をもそこに入れるのが普通なのである。その犯罪性質が、彼をひとりおかなければならぬものなのであろうか。それならば太田のすぐ一つおいて隣りの、今、村井源吉のいる独房に彼をうつし、村井を四人の仲間に入れるということもできるのである。村井の犯罪は何も独房を必要とする性質のものではないのだから。――ここまで考えて来た太田は、以前その男の顔を始めて見てどこか見覚えがある、と感じた瞬間に心の底にちらりと兆《きざ》した不吉な考えに再び思い当り、今まで無理に意識の底に押し込んでおいたその考えが再び意識の表面にはっきりと浮び上ってくるのに出会って慄然としたのであった。――自分の一つおいて隣りの監房に移してはならぬ独房の男、自分に近づけてはならぬ犯罪性質を持った男、といえば、自分と同一の罪名の下に収容されている者以外にはないのである。――かの新入りの癩病患者は同志に違いないのだ。そしていつの日にかかつて自分の出会ったことのある同志の一人の変り果てた姿に違いはないのだ!
 太田はかの癩病人が、自分の同志の一人であろう、という考えを幾度か抛棄《ほうき》しようとした。すべての否定的な材料をいろいろと頭の中にあげてみて、自分の妄想《もうそう》を打ち破ろうと試みた。そして安心しようとするのであった。太田はあの浅ましい癩病人の姿が、自分の同志であるということを断定する苦痛に到底堪えることはできまいと思われた。しかしまた他の一方では、確かに彼が同志であるということを論証するに足る、より力強いいくつかの材料を次々に挙げることもできるのである。彼は何日
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