足を上げ、大声を出しながら体操を始めることがあった。その食欲は底知れぬほどで、同居人の残飯は一粒も残さず平らげ、秋から冬にかけては、しばしば暴力をもって同居人の食料を強奪するので、若い他の二人は秋風が吹くころから、また一つ苦労の種がふえるのであった。――そしてこの男は、時々思い出したように、食いものと女とどっちがええ[#「ええ」に傍点]か、今ここに何でも好きな食いものと、女を一晩抱いて寝ることとどっちかをえらべ、といわれたら、お前たちはどっちをとるか、という質問を他の三人に向って発するのである。老人《としより》はにやにや笑って答えないが、若者の一人が真面目《まじめ》くさって考えこみ、多少ためらった末に「そりゃ、ごっつぉう[#「ごっつぉう」に傍点]の方がええ」と答え、「わしかてその方がええ」ともう一人の若者がそれに相槌《あいづち》を打つのを聞くと、その男は怒ったような破《わ》れ鐘《がね》のような声を出して怒鳴るのであった。「なんだと! へん、食いものの方がいいって! てめえたち、ここへ来てまでシャバにいた時みてえに嘘《うそ》ばっかりつきやがる。食いものはな、ここにいたって大して不自由はしねえんだ、三度三度食えるしな、ケトバシでも、たまにゃアンコロでも食えるんだ、……女はそうはいかねえや。てめえたち、そんなことを言う口の下から、毎晩ててんこう[#「ててんこう」に傍点]ばかししやがって、この野郎」それは感きわまったような声を出して、ああ、女が欲《ほ》しいなァと嘆息し、みんながどっと笑ってはやすと、それにはかまわずブツブツと口のなかでいつまでも何事かを呟《つぶや》いているのであった
最後の一人はもう五十を越えた老人でふだんはごく静かであった。顔はしなびて小さく眼はしょぼしょぼし、絶えず目脂《めやに》が流れ出ていた。両足の指先の肉は、すっかりコケ落ちて、草履を引っかけることもできず、足を紐《ひも》で草履の緒に結びつけていた。感覚が全然ないのであろう、泥《どろ》のついた履物《はきもの》のままずかずかと房内に入りこむのは始終のことであった。まだ若い時|田舎《いなか》の百姓家のいろりの端で居眠りをし、もうそのころは病気がかなり重って足先の感覚を失っていたのだが、その足を炉のなかに入れてブスブス焼けるのも知らないでいたという、その時の名残《なご》りの焼傷《やけど》の痕《あと》が残っ
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