「衣情の」]かげに、激情を辛うじておさへてゐる、一と皮むけば泣き出すにちがひないものを見てとつた。
 伯父伯母との間には格別話すこととてもなく三十分も坐つてゐる間にもう言葉はとだえがちであつた。好人物の夫婦であつただけに強い事は言はなかつたが、やはらかい言葉のなかにはげしい非難の針を含んで古賀を刺すのであつた。伯父は古賀の小學校時代の同級生の消息についていろいろ語つた。地主の息子で東京に遊學してゐたものは多くその年の春卒業してゐた。だれそれはどこへ就職したとか、だれそれは嫁をもらつたとかいふはなしを伯父はするのであつた。それが單純なニユースといふより以上の意味をもつて語られてゐる事は明らかであつた。父の死後、わづかばかり殘つた田地を賣つてそれを學資として上京してゐた古賀だ。母はその間、伯父の家に身を寄せて彼の卒業の日を待つてゐたのだ。それがもう一年足らずといふときに突然警察からよばれ、不吉な知らせを受けとらなければならなかつたのである。
 母の居間にあてられてゐる三疊の部屋にはいり、古賀はそこで始めて母と二人きりで向ひあつた。母の顏を目の前にしげしげと眺め、五十の坂を越すと人はどんなに急速に老いるものであるかといふことを古賀ははじめて知つたのである。
「よう丈夫で歸つたのう」といふと、母の日に燒けた頬にはみるみる大粒の涙がつたはつた。
 翌日から古賀は、遊んでゐる間にと東京で引受けて來た飜譯の仕事にとりかゝつた。少しは金にもなるのだつた。夜、母は机に向つてゐる息子の側でおそくまで針仕事をしてゐた。時々、「これ、通してけれ」といつて目をこすりこすり古賀の前に針と絲とを出すのであつた。古賀の若いたしかな目は待つ間もなく針めどに絲をとほすことができた。絲を絲まきにまく手傳ひをさせられることもあつた。さういふ息子の姿を見るときの母の目はやさしくうるんでゐた。母は東京での古賀の生活について少しも聞かうとはしなかつたし古賀も別に話はしなかつた。母は息子を信じてゐたのだ。惡者であるといはれてゐた息子は、歸つてみれば昔よりもやさしく言葉や態度はぐつと大人びて何か頼もしいものさへ感ぜられるのだつた。
 三月ほど經つた。東京からはしきりに手紙が出來し、歸らなければならない日が近づいてゐた。さういふある晩、古賀は村から五里はなれたT市へそこの劇場にかゝつた新派劇を見せに母を連れて行つた。
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