も買ふやうになるのは當り前のことだ。又ある機械などは共同で買つて共同作業するやうにせよともいはれるが、田圃での共同作業といふものはさうわきから考へるやうにすらすらとやれるものではない。生産の行程の一切が共同ならともかく、ある一部だけさうしろといつても無理なことが多い。それにさうかと思ふと又一方には、我々が何に限らず集つて一緒に仕事をするといふことを心の底では喜ばぬげな役人もゐる。共同作業の習慣をつけると社會主義になるのださうだ。改良された農具や機械が澤山使はれるのは農業の進歩だと思つてやつて來たが、近頃ではそれをも餘り喜ばぬ人があるやうだ。
私は默つて聞いてゐるだけであつたが、どこへ行つても役人はなぜかう人氣が無いのかと驚くのだ。私は何も組合運動者などにばかり逢つて聞いてゐるのではないのだが。爲政者の精神と政策とが、篤實な農村青年の心を一向にとらへてゐさうにもないのは遺憾である。
私達は間もなくその家に入つて御馳走になつた。S君は畑から唐黍をもいで來てくれた。もうすつかり固くなつてゐるが、取り立てだから燒いたのをよく噛みしめてゐると美味しい。私などが子供の時に知つてゐた大きな圍爐裏がもうなくなつてゐる。そこにはストーブがあつて年中焚かれてゐる。煮炊き一切はこれでするのだ。燃料の主なものはおが屑である。一尺四方に押し固めたものが三錢五厘で、これの一年の費用がおよそ三十圓であるといふ。晝飯のおかずは茄子の煮つけ一皿だ。事變以後の一汁一菜の聲などと何の關りもない一皿であることは云ふまでもないだらう。
私達はそれからS君に別れて、ある出征兵士の家を見舞つた。そこでは青年達が集つて勞力奉仕の作業につとめてゐた。彼等の手で稻架木《はさぎ》が立てられてゐる。稻はもう四五日のうちに刈られ始めるのだ。
凉しい風が吹いて來て、大雪山《だいせつざん》と十勝嶽と兩方の山頂がいつか雲にかくれてゐた。
底本:「現代日本紀行文学全集 北日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年8月20日作成
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