りしてから、また馬屋へ來て、此頃徴發に行つたが大き過ぎて戻されたといふ馬の鼻面をなでながら、私は一時間ほどもその青年と四方山の話をした。確に北海道の農村青年の獨自な氣風といふものは感じられる。北海道の農村の新しさが生んだもので、その氣魄も、その考も溌剌としてゐて自由であつた。
どこへ行つても最大の關心をもつて語られるのは馬のことであつたが、ここでも先づ馬の話から聞かされた。私はつい先達青森縣|木造《きづくり》の有名な馬の糶市《せりいち》を見て、その盛んな景況に驚き、馬市の立つ期間のお祭騷ぎのやうな町の賑はひを物珍しく感じて來たものだが、この糶市では二歳駒が四百圓ぐらゐで賣買されることが珍しくなかつた。Sはこつちで四百圓などといふ馬は、足をつかんで、かう肩にのつけて行けるやうな馬だと云つて、以前から見れば馬の値は三倍から四倍だらうと語つた。北海道で馬を持たぬ百姓などといふものはルンペンのやうなものだから、この問題は深刻である。
馬は博勞を通して買ふ。博勞は馬一頭につき百圓ぐらゐの利を見てゐて、腕のある博勞といふのは年に二十頭ぐらゐの馬を扱ふのだといふ。
儲け過ぎる感じを與へるが、しかし考へて見れば博勞はそのために旅もするのだし、行く先々での滯在の費用なども見ねばならぬのだし、彼等としてみれば無理もないことだ。どんな商賣にだつて仲介商人はあるのだし、昔からちやんと認められてゐる博勞を、此頃馬の値が急に騰つたからといつてそれがことごとく彼等のせゐででもあるやうに惡ブローカー呼ばはりをするのは當らぬ、とSはいふのだ。少しでも安い馬を買ひたいと、自分から馬産地の十勝《とかち》方面などに出向いたものもあるさうだが、却つて高くついて了つたといふ。願はしいのはお上が何等かの方策を樹ててくれることだ。しかしお上はどんなことをしてくれてゐるか?
牝馬を飼つて仔を生ませろ、といふことを此頃はしきりに云はれてゐますけれど、とSは云つて笑つた。仔は生れたにしてもただでは育たぬ。生れた仔をちやんとした二歳駒にするためにはそれ相應の飼養上の設備がいることである。しかしこのあたりには放牧のための野原一つないのだ。牧草の採取すらも自由に任せぬ。春の農耕時、一ヶ月間の馬の飼料代として五十圓も支出しなければならぬほどである。放牧場もないやうなことでは立派な農耕馬の條件にかなふ骨骼をそなへさせるこ
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