の人にある温泉地へ案内されたが、靴を脱いで上へあがつてから泊るのは一人だとわかると、いきなりそんなら部屋はないといはれ、帚《はうき》で掃くやうにして追ひ立てられた時のことを思ひ出した。軍需成金共が跋扈《ばつこ》してゐて、一人静かに書を読まうとか、傷ついた心身を休めようとか、さういふやうなものは問題ではないのだ。さうかと思ふと一方にはまた温泉組合の機関雑誌といふものがあり、「我々温泉業者も新体制に即応し、国民保健の担当者たることを自覚し……」などと書いて、我々の所へも送つて来たりしてゐるのである。
つまらぬことに腹は立てまい、ちよつとしたことにものぼせるのは自分の欠点だ、怒気ほど心身をやぶるものはない、この頃は特にさう思ひ思ひして来てゐる自分なのだが、怒りがムラムラと発して来てどうにもならなかつた。この堪《こら》へ性《しやう》のなさもやはり病気が手伝つてゐた。無理をして余裕をつくり、いろいろ楽しい空想をして来たのにと思ふと、読むために持つて来た本を見てさへいまいましくてならない。不機嫌を通り越して毒念ともいふべきものがのた打つて来た。食欲は全くなかつた。時分どきになると、無表情な無愛想な女が、黙つてはひつて来て、料理の名をならべた板を黙つて突き出す。こつちも黙つて、ろくすつぽう見もしないで、そのなかのどれかこれかを、指の頭でおす。
新しい宿を探して見ようといふ気力さへなかつた。さうかといつてさつさと引きあげて帰るといふ決断力もなかつた。
自然、飯の時のほかは外に出てゐるといふ日が多くなつた。範頼《のりより》の墓があるといふ小山や公園や梅園や、そんな所へ行つてそこの日だまりにしやがんでぼんやり時を過して帰つてくるのだ。
或る日私は桂川の流れに沿つて上つて行つた。かなり歩いてから戻つて来て、疲れたのでどこか腰を下ろす所と思つてゐると、川をすぐ下に見下ろす道ばたに、大きな石が横たはつてゐるのを見た。畳半分ほどの大きさでしかも上が真《ま》つ平《たひら》な石である。私はその上に腰をかけて額の汗をぬぐつた。あたりには人影もない明るい秋の午後である。私は軽い貧血を起したやうなぼんやりした気持で、無心に川を見下ろしてゐた。川は両岸から丁度同じ程の距離にあるあたりが、土がむき出して洲《す》になつてゐる。しかしそれは長さも幅も、それほど大きなものではない。流れはすぐまた合して一つ
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