のなき一つのいきほひをさへ示したのであつた。それは上げ潮のひた押しに押して來る姿に似てゐた。はじめは誰でもが捨てて顧みなかつたものだけに、今にはかに現實にそれがつかめる見込みがついたとなるとそれだけ逃してはならぬそれへの執着は強く大きかつた。ただそのいきほひで最後の瞬間まで押し切り得るかどうかが疑問だつた。その疑問がいま明らかにされようとする直前の、この息づまるやうにいらだたしい切迫した感じである。
「ちえつ、遲いなあ、一體どうしたつていふんだ。」
うつぶしてゐた一人がふいに顏をあげると、つひに堪へかねたらしい聲を太い溜息とともにあげた。同時に部屋のなかがにはかにざわめきだした。緊張が破れ、ほつとした氣持に息づき、すると急に活々とした多辯が人々をとらへはじめるのであつた。
「もうわかつた頃だと思ふんだがな。」と一人が腕をあげて時計を見ながらいつた。「開票のすつかり終るのは何時の豫定なんだ。」
「四時頃の筈だが――しかし少しはおくれるだらう。」
「今頃は傳令の奴、いいニユースを持つてやきもきしながら自轉車を走らせてゐるよ。」と一人が笑ひながらいつた。
「おい、みんな行かう。」とふいに大きな聲でいつて荒々しく音を立てて立上つた男がある。それまで部屋のまん中に長々と寢そべつてゐた一人である。立上ると彼はやにはに腕をふりはじめた。
「ぢつとこんなにして、馬鹿みたいに面《つら》をつき合していつまでも居れるもんか。みんな行かうぜ。開票最後の素晴らしい場面が見られないのは癪ぢやないか。」
「行かうか。」と二三人實乘つて來た。
「そりやだめだ。」と若いしかし落着いた聲がおさへるやうにいつた。鼠色のジヤケツの男である。
「なぜだ。」
「なぜつて、事務所をガラ空きにするわけにやいきやしない。」
「だからよ、一人留守番をおいて行きやいいぢやないか。」
「子供みたいなことをいふなよ。俺たちが今ここに待機の姿勢でゐるのはなんの爲だ。おそかれ早かれ結果がわかるんだ。その結果にもとづいて方針を立てて一刻も早くそれぞれの責任地區に向つてふつ飛ぶやうにするためぢやないか。」
「ふん、もつともなことをいひやがる。」と彼はまたそこにごろりと横になつた。「まるで御馳走を前にしてお預けの形だな。」
人々はみんな聲をあげて笑ひ、同時に彼の最後の言葉に思ひ出したやうに壁の一方を見やるのであつた。四里はなれた
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