つて来てゐる。彼等は仲よくならんでゐる。私の顔と彼等とは一尺しか離れてゐない。日がかげるまで我々はさうしてほとんど身動きもしない。
 或日はまた、私が机の前の障子をあけた時であつた。パラパラと音がして何か小さな豆のやうなものが机の上にこぼれ落ちて来た。彼等はテンタウ虫であつた。彼等は群をなして越年するのに暖かい私の病室をえらんだのであらう。それからしばらく障子の上にも机の上にも本の上にも、到るところに黒地に真紅の色を染め抜いた日の丸を背負つた彼等の賑やかな行進が続いてゐた。彼等は私の寝床の上までも這つて来た。
 私はかういふものたちを伴侶にして冬を籠つた。その間にも病気は一進一退した。
 また暖かい季節が巡つて来て、ある日私はあの元気な、なつかしい、ぶーんといふ翅音を聞いた。私ははつと思つて、胸のときめきをさへ感じた。私はジガ蜂のことをすつかり忘れてしまつてゐた。私は急に思ひ出して、去年のあの白壁塗りの穴を見た。私はそろそろと起き上つて行つて、近くに寄つてつくづくと見た。するとどうだらう、白壁の真中にはいつの間にか小さな穴がすぽツとあいてゐるではないか。私はほかの白壁も調べてみた。そのどれもが、内から破られて以前の穴にかへつてゐた。
 私がさうしてゐる間にも一匹二匹と数を増して来たらしい飛ぶ虫の翅音は立つてゐる私の周囲をめぐつて次第に高く強く聞えて来るのであつた。やがてその音は部屋うちに溢るるばかりに遍満して来た。私はその時はじめて衰へた心身にしみとほるばかりの生の歓喜を感じたのである。
[#地から2字上げ](昭和二十一年三月)



底本:「現代日本文學大系 70 武田麟太郎・島木健作・織田作之助・檀一雄集」筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日初版第1刷
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
1998年8月26日公開
2005年12月22日修正
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