》る積《つも》りであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳かれて八溝山《やみぞやま》の天険を踰《こ》え、九尾の狐の化けた那須野《なすの》ヶ|原《はら》まで、テクテクお伴をする事に相成った。

    (二)奇異の血汐《ちしお》

 徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常州《じょうしゅう》水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国《えちごのくに》直江津《なおえつ》の予定。足跡《そくせき》は常陸《ひたち》、磐城《いわき》、上野《こうずけ》、下野《しもつけ》、信濃《しなの》、越後の六ヶ国に亘《わた》り、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞《けんもん》し、変った旅行をしてみようというのである。
 ところが東都出発の数日以前から、殆《ほと》んど毎日のように暴風|大雨《たいう》で、各地水害の飛報は頻々《ひんぴん》として来《きた》る。ことに出発の前夜は、烈風|甍《いらか》を飛ばし、豪雨石を転《まろ》ばし、勢《いきおい》で、東都下町方面も多く水に浸され、この模様では今回の旅行も至極《しごく》困難であろうと想像しているところへ、ここに今考えても理由《わけ》の分からぬ事があった。というのは他《ほか》でもない、その夜の事である。本誌お馴染《なじみ》の断水坊、暴風雨を冒して遊びに来り、夜遅くまで、二人で将棋をパチクリパチクリやっておったが、時刻は夜半の零時か零時半頃であったろう、吾輩はなんでも香車か桂馬をばパチリッと盤面に打下《うちおろ》そうと手を伸ばした途端である。不意に何か吾輩の食指《ひとさしゆび》の中央《まんなか》にポタリと落ちた冷たいものがある。
「オヤ、雨が漏ったのか」と、熟視すると、雨ではない。豆粒程の大《おおき》さの生々しい血汐《ちしお》である。
「ヤッ、変だぞ、変だぞ」と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たものであろうと、二人は顔面《かお》はいうに及ばず、全身残りなく検《しら》べてみたが、どこからも血の出た気勢《けはい》が微塵《みじん》程もない。また鼻から出たにしたところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突出《つきだ》した食指《ひとさしゆび》の上へ、豆粒程の大《おおき》さだけポタリと落ちる道理はないのだ。
「それでは天井から落ちたに相違ない」
「そうだそうだ、天井で鼠が喧
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