て百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面付《つらつき》をして立っておったが、我等の変テコな扮装《いでたち》を見て、
「なんだ、査公《おまわりさん》でねえだ」と、一人の若者、獅子鼻《ししっぱな》を動《うごか》しつつ忌々《いまいま》し気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、黄《きいろ》い歯を現わしてゲラゲラと笑い、
「白い物が何でも査公《おまわりさん》なら、俺《わし》が頭の手拭も査公《おまわりさん》だんべえ」と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失笑《ふきだ》さずにはおられなかった。
元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、「ままになるならこの丸髷《まるまげ》を、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中《まんなか》、新橋や赤坂等の魔窟《まくつ》で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑猥《ひわい》なるものという事は出来ない。彼《か》の舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変梃《へんてこ》な足取、その淫猥《いや》らしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、他《た》に楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りの後《あと》で淫猥《いんわい》の実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限ったことではない。芝居の帰途《かえり》にもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人|輩《ばら》に、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。
その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一寸《ちょっと》有福《ゆうふく》らしき町である。未醒《みせい》子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木川《きがわ》子や衣水《いすい》子は夜中にも拘《かかわ》らず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで
前へ
次へ
全29ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング