小初は呟《つぶや》いた。
五日後に挙行される遠泳会の晴雨が気遣《きづか》われた。
西の方へ瞳《ひとみ》を落すと鈍《にぶ》い焔《ほのお》が燻《いぶ》って来るように、都会の中央から市街の瓦《かわら》屋根の氾濫《はんらん》が眼を襲《おそ》って来る。それは砂町一丁目と上大島町の瓦斯《ガス》タンクを堡塁《ほるい》のように清砂通りに沿う一線と八幡《やわた》通りに沿う一線に主力を集め、おのおの三方へ不規則に蔓延《まんえん》している。近くの街の屋根瓦の重畳《ちょうじょう》は、躍《おど》って押《お》し寄せるように見えて、一々は動かない。そして、うるさいほど肩《かた》の数を聳《そびや》かしている高層建築と大工場。灼熱《しゃくねつ》した塵埃《じんあい》の空に幾百《いくひゃく》筋も赫《あか》く爛《ただ》れ込んでいる煙突《えんとつ》の煙《けむり》。
小初は腰の左手を上へ挙げて、額に翳している右の腕に添《そ》え、眩《まぶ》しくないよう眼庇《まびさ》しを深くして、今更《いまさら》のように文化の燎原《りょうげん》に立ち昇《のぼ》る晩夏の陽炎《かげろう》を見入って、深い溜息《ためいき》をした。
父の水泳場は父祖の代から隅田川《すみだがわ》岸に在った。それが都会の新文化の発展に追除《おいの》けられ追除けられして竪川《たてかわ》筋に移り、小名木川《おなぎがわ》筋に移り、場末の横堀《よこぼり》に移った。そしてとうとう砂村のこの材木置場の中に追い込まれた。転々した敗戦のあとが傷ましくずっと数えられる。だが移った途端《とたん》に東京は大東京と劃大《かくだい》され砂村も城東区砂町となって、立派に市域の内には違《ちが》いなかった。それがわずかに「わが青海流は都会人の嗜《たしな》みにする泳ぎだ。決して田舎《いなか》には落したくない。」そういっている父の虚栄心《きょえいしん》を満足させた。父は同じ東京となった放水路の川向うの江戸川区《えどがわく》には移り住むのを極度に恐《おそ》れた。葛西《かさい》という名が、旧東京人の父には、市内という観念をいかにしても受付けさせなかった。ついに父は荒川放水を逃路《とうろ》の限りとして背水の陣《じん》を敷《し》き、青海流水泳の最後の道場を死守するつもりである。
このように夏|稼《かせ》ぎの水泳場はたびたび川筋を変えたが、住居は今年の夏前までずっと日本橋区の小網町《こあみちょ
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