い》のあわれな父娘だ。それがため、父はいらだたしさにさもしく老衰《ろうすい》して行き、自分は初恋から卑《いや》しく五十男に転換《てんかん》して行く……。くらやみの中で自分の功利心がぴっかり眼を見開いているのに小初の一方の心では昼間水中で味《あじわ》った薫の若い肉体との感触を憶《おも》い出している……。
少したつと小初はまた起き上った。父の様子を見ようと裏口の窓を開けた。雨上りの夜の天地は濃《こ》い墨色《すみいろ》の中にたっぷり水気を溶《とか》して、艶《つや》っぽい涼味《りょうみ》が潤沢《じゅんたく》だった。下《さ》げ汐《しお》になった前屈《まえかが》みの櫓台の周囲にときどき右往左往する若鰡《わかいな》の背が星明りに閃《ひらめ》く。父はあまり遠くない蘆の中で、カンテラを燃して数珠子釣りをやっている。洲の中の環虫類《かんちゅうるい》を糸にたくさん貫《つらぬ》いて、数珠輪のようにして水に垂らす。蘆の根方に住んでいる小|鰻《うなぎ》がそれに取りつく、環《わ》をそっと引き上げて、未練に喰い下って来る小鰻を水面近くまでおびき寄せ、わきから手網《てあみ》で、さっと掬《すく》い上げる。環虫類も何だか虫の中では醜《みにく》い衰亡者《すいぼうしゃ》のように思えるし、鰻だとて、やはり時代文化に取り残されたような魚ではないか。衰亡の人間が衰亡の虫を囮《おとり》につかって衰亡の魚を捉《とら》えて娯《たの》しみにする。その灯明り――何と憐《あわ》れ深い情景であろう。むかし父親にとってこの方法の鰻取りは単なる娯しみに過ぎなかったが、今は必死の副業である。
「ゆうべ、少し漁《と》れ過ぎてね。始末に困るんだよ」
こんな鷹揚《おうよう》なものの云い方をしながら父親は獲物《えもの》を鰻|仲買《なかがい》に渡した。憐れな父子と思いながら小初はいつか今夜の父の漁れ高を胸に計算していた自分が悲しかった。
西空は一面に都会の夜街の華々《はなばな》しいものが踊《おど》りつ、打ち合いつ、砕《くだ》けつする光の反射面のようである。特に歓楽の激しい地域を指示するように所々に群《むらが》るネオンサインが光のなかへ更に強い光の輪郭《りんかく》を重ねている。さらにこの夜空のところどころにときどき大地の底から発せられるような奇矯《ききょう》な質を帯びた閃光《せんこう》がひらめいて、琴《こと》のかえ手のように幽毅《ゆうき》
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