て寮を出るし、男はまた鯉釣りに化けて、この土手下の合歓の並木の陰に船を繋《もや》って、そこでいまいうランデブウをしたものさね」
 夕方になって合歓の花がつぼみかかり、船大工の槌《つち》の音がいつの間にか消えると、青白い河|靄《もや》がうっすり漂う。
「私たちは一度心中の相談をしたことがあったのさ。なにしろ舷《ふなばた》一つ跨《また》げば事が済むことなのだから、ちょっと危かった」
「どうしてそれを思い止ったのか」と柚木はせまい船のなかをのしのし歩きながら訊いた。
「いつ死のうかと逢う度毎に相談しながら、のびのびになっているうちに、ある日川の向うに心中|態《てい》の土左衛門が流れて来たのだよ。人だかりの間から熟々《つくづく》眺めて来て男は云ったのさ。心中ってものも、あれはざま[#「ざま」に傍点]の悪いものだ。やめようって」
「あたしは死んでしまったら、この男にはよかろうが、あとに残る旦那が可哀想だという気がして来てね。どんな身の毛のよだつような男にしろ、嫉妬をあれほど妬《や》かれるとあとに心が残るものさ」
 若い芸妓たちは「姐さんの時代ののんきな話を聴いていると、私たちきょう日の働き方が熟
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