々《つくづく》がつがつにおもえて、いやんなっちゃう」と云った。
 すると老妓は「いや、そうでないねえ」と手を振った。「この頃はこの頃でいいところがあるよ。それにこの頃は何でも話が手取り早くて、まるで電気のようでさ、そしていろいろの手があって面白いじゃないか」
 そういう言葉に執成《とりな》されたあとで、年下の芸妓を主に年上の芸妓が介添になって、頻《しき》りに艶《なま》めかしく柚木を取持った。
 みち子はというと何か非常に動揺させられているように見えた。
 はじめは軽蔑《けいべつ》した超然とした態度で、一人離れて、携帯のライカで景色など撮《うつ》していたが、にわかに柚木に慣れ慣れしくして、柚木の歓心を得ることにかけて、芸妓たちに勝越そうとする態度を露骨に見せたりした。
 そういう場合、未成熟《なま》の娘の心身から、利かん気を僅かに絞り出す、病鶏のささ身ほどの肉感的な匂いが、柚木には妙に感覚にこたえて、思わず肺の底へ息を吸わした。だが、それは刹那《せつな》的のものだった。心に打ち込むものはなかった。
 若い芸妓たちは、娘の挑戦を快くは思わなかったらしいが、大姐さんの養女のことではあり、自分達は職業的に来ているのだから、無理な骨折りを避けて、娘が努めるときは媚《こ》びを差控え、娘の手が緩むと、またサービスする。みち子にはそれが自分の菓子の上にたかる蠅《はえ》のようにうるさかった。
 何となくその不満の気持ちを晴らすらしく、みち子は老妓に当ったりした。
 老妓はすべてを大して気にかけず、悠々と土手でカナリヤの餌《え》のはこべを摘んだり菖蒲園《しょうぶえん》できぬかつぎを肴《さかな》にビールを飲んだりした。
 夕暮になって、一行が水神《すいじん》の八百松へ晩餐《ばんさん》をとりに入ろうとすると、みち子は、柚木をじろりと眺めて
「あたし、和食のごはんたくさん、一人で家に帰る」と云い出した。芸妓たちが驚いて、では送ろうというと、老妓は笑って
「自動車に乗せてやれば、何でもないよ」といって通りがかりの車を呼び止めた。
 自動車の後姿を見て老妓は云った。
「あの子も、おつな真似をすることを、ちょんぼり覚えたね」

 柚木にはだんだん老妓のすることが判らなくなった。むかしの男たちへの罪滅しのために若いものの世話でもして気を取直すつもりかと思っていたが、そうでもない。近頃この界隈《かいわい》に噂が立ちかけて来た、老妓の若い燕《つばめ》というそんな気配はもちろん、老妓は自分に対して現わさない。
 何で一人前の男をこんな放胆な飼い方をするのだろう。柚木は近頃工房へは少しも入らず、発明の工夫も断念した形になっている。そして、そのことを老妓はとくに知っている癖に、それに就《つ》いては一言も云わないだけに、いよいよパトロンの目的が疑われて来た。縁側に向いている硝子《ガラス》窓から、工房の中が見えるのを、なるべく眼を外らして、縁側に出て仰向けに寝転ぶ。夏近くなって庭の古木は青葉を一せいにつけ、池を埋めた渚《なぎさ》の残り石から、いちはつ[#「いちはつ」に傍点]やつつじの花が虻《あぶ》を呼んでいる。空は凝《こご》って青く澄み、大陸のような雲が少し雨気で色を濁しながらゆるゆる移って行く。隣の乾物《ほしもの》の陰に桐の花が咲いている。
 柚木は過去にいろいろの家に仕事のために出入りして、醤油樽の黴《かび》臭い戸棚の隅に首を突込んで窮屈な仕事をしたことや、主婦や女中に昼の煮物を分けて貰って弁当を使ったことや、その頃は嫌《いや》だった事が今ではむしろなつかしく想い出される。蒔田の狭い二階で、注文先からの設計の予算表を造っていると、子供が代る代る来て、頸《くび》筋が赤く腫《は》れるほど取りついた。小さい口から嘗《な》めかけの飴《あめ》玉を取出して、涎《よだれ》の糸をひいたまま自分の口に押し込んだりした。
 彼は自分は発明なんて大それたことより、普通の生活が欲しいのではないかと考え始めたりした。ふと、みち子のことが頭に上った。老妓は高いところから何も知らない顔をして、鷹揚《おうよう》に見ているが、実は出来ることなら自分をみち子の婿《むこ》にでもして、ゆくゆく老後の面倒でも見て貰おうとの腹であるのかも知れない。だがまたそうとばかり判断も仕切れない。あの気嵩《きがさ》な老妓がそんなしみったれた計画で、ひと[#「ひと」に傍点]に好意をするのではないことも判る。
 みち子を考える時、形式だけは十二分に整っていて、中身は実が入らずじまいになった娘、柚木はみなし茹《ゆ》で栗の水っぽくぺちゃぺちゃな中身を聯想《れんそう》して苦笑したが、この頃みち子が自分に憎《にくし》みのようなものや、反感を持ちながら、妙に粘って来る態度が心にとまった。
 彼女のこの頃の来方は気紛れでなく、一日か二日置き
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