て、囲いもの時代に、情人と逃げ出して、旦那におふくろを人質にとられた話や、もはや抱妓《かかえっこ》の二人三人も置くような看板ぬしになってからも、内実の苦しみは、五円の現金を借りるために、横浜往復十二円の月末払いの俥に乗って行ったことや、彼女は相手の若い妓たちを笑いでへとへとに疲らせずには措《お》かないまで、話の筋は同じでも、趣向は変えて、その迫り方は彼女に物《もの》の怪《け》がつき、われ知らずに魅惑の爪を相手の女に突き立てて行くように見える。若さを嫉妬《しっと》して、老いが狡猾《こうかつ》な方法で巧みに責め苛《さいな》んでいるようにさえ見える。
 若い芸妓たちは、とうとう髪を振り乱して、両脇腹を押え喘《あえ》いでいうのだった。
「姐《ねえ》さん、頼むからもう止してよ。この上笑わせられたら死んでしまう」
 老妓は、生きてる人のことは決して語らないが、故人で馴染《なじみ》のあった人については一皮|剥《む》いた彼女独特の観察を語った。それ等の人の中には思いがけない素人や芸人もあった。
 中国の名優の梅蘭芳《メイランファン》が帝国劇場に出演しに来たとき、その肝煎《きもい》りをした某富豪に向って、老妓は「費用はいくらかかっても関《かま》いませんから、一度のおりをつくって欲しい」と頼み込んで、その富豪に宥《なだ》め返されたという話が、嘘か本当か、彼女の逸話の一つになっている。
 笑い苦しめられた芸妓の一人が、その復讐のつもりもあって
「姐さんは、そのとき、銀行の通帳を帯揚げから出して、お金ならこれだけありますと、その方に見せたというが、ほんとうですか」と訊《き》く。
 すると、彼女は
「ばかばかしい。子供じゃあるまいし、帯揚げのなんのって……」
 こどものようになって、ぷんぷん怒るのである。その真偽はとにかく、彼女からこういううぶな態度を見たいためにも、若い女たちはしばしば訊いた。
「だがね。おまえさんたち」と小そのは総《すべ》てを語ったのちにいう、「何人男を代えてもつづまるところ、たった一人の男を求めているに過ぎないのだね。いまこうやって思い出して見て、この男、あの男と部分々々に牽《ひ》かれるものの残っているところは、その求めている男の一部一部の切れはしなのだよ。だから、どれもこれも一人では永くは続かなかったのさ」
「そして、その求めている男というのは」と若い芸妓たちは訊き返
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