行かなければならなくなりましたのは、男女の哀別離苦の情、目もあてられぬほどのものでありました。しかし、その悲哀にも男女おのづからの差はありました。
男は、女が男の遠く去つたあとの寂寞、男が遠隔の地で長の月日(男は三ヶ年行つて居なければなりませんでした。)を過す間に、自分に対する恋の心がうすらいで、他に心を移すやうな場合さへ想像しての純粋な慟哭であるのにくらべて、男は、女の純粋な貞操にふかくたのむ処を持ち、ましてその朝鮮行は、男女周囲の圧迫による止むなき結果ではありましたが、男の事業慾の発露の一端にその朝鮮行はふれて居たものでありましたから悲哀のなかにも一縷の希望を持つて居た処に、男の悲哀は女に較べてその程度の差異はかなりあつたかもしれません。
しかしとにかく二人ははたで見る目も無惨な哀別離苦のかぎりをつくし、かたく再会を約して別れました。
三年は経過しました。
男は無事、かなりな貯金と、事業の端緒を得て女を迎へに日本の東京へかへりました。
諸氏は男が女の許へ帰るが否や、どんなにか二人の間に劇的な、再会のよろこびが叙されたかを想像することでせう。
しかし、決して、それは大変な予想違ひでありました。これは、当事者の男女に於ても殆んどその瞬間まで、夢にも想像し得られなかつた事実だつたさうです。否な当事者はまして読者諸氏にいかほどか優つた二人の激越が徐々にそのクライマックスに近づきつつあるのを感得しつつ、久々の対面の機を待ちかまへて居たか知れませんでした。
三年ぶりの対面の夜――その時間が来ました。
或る旅館の一室。
女が先へ行つて待つて居たのでした。
男が這入つて来ました。
女は男の顔を見て、小声乍らあつと叫んで男の方へ立ちそびれました
男も女の顔を見て、あつと同時に同じやうに云ひました。そして女に近づかうとしたばかりで立ちどまりました。
敵! と男の顔を見た女は即座に感じました。三年の間、待ち焦れ、恋ひ慕ひ、あらゆる寂寞と閨怨とによつて刺戟しつくした揚句、今また息も詰るやうな歓喜の圧迫によつてこの自分を苦しめさいなまんとする、敵よ! 退け。これが女の感じた本当の所でした。
男は、さうした女の気持ちの反映を直ぐに直覚しました、と同時に三年前の自分の記憶に残つて居た女とは似もつかぬ、やつれて老いた女の俤を一目見て、あらゆる歓喜と期待の心が打ち破ら
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