ので、一も二もなく賛成した。
さしむかう鹿島の崎に霞たなびき初め、若草の妻たちが、麓の野に莪蒿《うはぎ》摘みて煮る煙が立つ頃となった。女は弟を伴ってひそかに旅立った。うち拓けた常識の国から、未萌の神秘の国へ探り入る気ずつなさはあったが――
甲斐々々しくとも足弱の女の旅のことである。女が駿河路にかかったときには花後の樗《おうち》の空に、ほととぎす鳴きわたり、摺《す》らずとも草あやめの色は、裳に露で染った。
近づくにつれ、いよいよ驚かれるのは伯母の領《うしは》く福慈岳の姿である。姪の女はただ圧倒された。これがわが肉体の繋りかよ。しかもこのものに向って、争《あらが》おうと蓄えて来た胸の中のものなぞは、あまりに卑小な感じがして、今更に恥入るばかりであった。この儘に帰ろうか。それも本意ない。うち出して会おうとするには、すでに胸中見透されている気がして逡巡《しりご》まれた。願《ね》ぎかくるは伯母のまにまにである。そしてこっちは、ゆくりなく、漂泊《さすら》う旅の路上で、ふと伯母に見出されたという形であらしめ度い。胸中いかに見透されていようと少くともこの形の態度なら超越の伯母に対し、初対面の姪むすめの恰好はつけられる。
水無瀬女は弟を伴って福慈岳の麓の野をあちらこちらと彷徨《さまよ》った。嘗《かつ》て常陸の山に在って旅人から聞いた話の、八つの湖に女神の姿を待ち侘ぶ河神たちの姿も眼の前に見た。河神たちの若い瞳は、陽炎《かげろう》を立てて軟く燃えているが、姿は骨立って痩せていた。冬はかくて痩せ細り夏に雨を得て肉附くことを繰返しながら、瞳は一途にあえかなるものに向って求めているのだと土民はいった。女はその瞳の一つだも贏《か》ち得たなら自分はどんなに幸福だろうと考えないわけにはゆかない。
恋い死の空骸から咲き出でたという花木、花草は、今を春と咲き出していた。高く抽き出でた花は蒐《あつま》ってまぼろしの雲と棚曳き魂魄を匂いの火気に溶かしている。林や竹藪の中に屈《くぐ》まる射干《しゃが》、春蘭のような花すら美しき遠つ世を夢みている。これをしも死から咲き出たものとしたなら、この花等は自らの花をも楽しく謳っているようである。ぴんちょぴんちょ、たちからたちから。北から帰って来たという小鳥たちは身籠る季節まえのまだ見ぬ雄を慕うて、囀《さえず》りを立てている。
麓の春の豪華を、末濃《おそご》の裳にして福慈岳は厳かに、また莞爾《かんじ》として聳立《そびえた》っている。一たい伯母さんは幾つの性格を持っているのか知らん。
晴れた日は全山を玲瓏と人の眼に突付けて、瑕《きず》もあらば、看よ、看よと、いってるような度胸のよい山の姿である。曇った日は雪の帳《とばり》深く垂れ籠めて、臆した上にも病的な女が、人嫌いし出したようである。
くさぐさの山の変化を見経ぐり、見分けながら、女はまだ伯母の女神の姿に遇わない。弓矢を提《たずさ》えて来た弟は、郷国《くに》の常陸には見受けない鳥獣を猟ってその珍しさに日の過ぐるのを忘れていたが、それも飽きていうようになった。
「伯母さんなんかに遇ったってつまんないじゃないか、もう帰ろうよ」
部落の土民の間では、こういういい慣《ならわ》しがあった。「それはたぶん、女神が季節の変り目で、夏の化粧をされてるからだろう。でなければ厠《かわや》に上られてはこ[#「はこ」に傍点]されているからだろう」女神の化粧は自分で納得《なっとく》ゆくまで何遍でも仕代えさせられるので永い。女神の上厠は、はこ[#「はこ」に傍点]そのものよりも、うつらうつら物うち考えられるのでこれも永い。厠神の植山《はにや》姫、水匿女《みずはのめ》も永く場を塞がれて手を焼くそうであるという。
若い瞳がうち看守る八つの湖、春を敷妙《しきたえ》の床の花原。この間にところどころ溶岩で成れる洞穴があった。形よき穴には生けるものが住んでいた。形悪しきには死にかかっているものが住んでいた。
彷徨《さまよ》いあぐねてこの洞穴の一つのまえを通りかかった水無瀬女は、穴の中から※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《うめ》き声に混ってこういうのを聞いた。
「あの方は、いのち、いのちというが、ああ、いのちは、健康であるときにのみ有意義なのだ、この病める姿の醜さ。昼も夜もそのための尽きぬ嘆きに、ああ、わたしは、わたしに残れる僅かないのちの重味にさえ堪え兼ねている」
「この堪えられない程、烈しい息切れと、苦しい動悸のする身体。つくづく情無さを感ずる。呼吸を吸い込むと胸の中に枯枝か屑のようなものがつかえ、咽喉はいらいらと虫けらが這うように痒い。その不快さ。咳、濁って煤けた咳。六つも七つも続けさまに出る。胸から咽喉へかけて意地悪い痩せこけて骨張った手が捏《こ》ねくり廻しているようだ。辛い。わたしは顔をしかめる。思わず口を醜く開く。さぞ醜いさまだろう。この辛さ醜くさを続けてまで、いつまであの方はいのちを担って行けといわれるのだろうか」
「こんなに痩せ細ってしまって、この先どうするのだろう。私はともかくこうして二十七まで生きたんだから、もう死んでもいいのだと思うのだが。一日々々と醜く苦しませないで早く死なせて貰いたい。丈夫な時には、希望も、歓楽も、恋もあったが、病気になってみれば何にもない。死ねばどうなるのか私はそれを知らない。病が苦しいから死のうと思うだけだ」
「蛙の声が穴の中まで聞えて来る。外は春なのだなあ。蛙よ、唄ってくれ唄ってくれ。私はお前の唄に聞き惚れつつ、さまざまな思い出の中に眠るのが今はたった一つの楽しみなのだ。死というものの状態に似ているらしい眠りに就くことが……」
その声は妙に水無瀬女の心に染みた。この時代に在っては、およそ生きとし生けるもので、生こそは欲すれ、死を望むことはいかなる条件の代償を得るにもせよ心に無いことだった。従ってその声のいうところは女に珍らしかった。女は、ここにも女神のために出来た奇妙な怪我《けが》人が一人いるのかと、久振りに伯母に対する義憤を催して、弟はその辺の狩に出し遣り、自分は洞穴《ほらあな》の中へ入って行った。
弟が用意して呉れた僅な松明《たきまつ》の灯を掲げて、女は洞穴の中へ入って行った。歯朶《しだ》が生い囲んでいる入口の辺を過ぎると、岩窟の岩肌が灯に照し出された。頬を掠めて蝙蝠《こうもり》らしいものが飛んで女を驚した。
僅な松明の灯に照し出される岩肌は、穴の屈曲に従って 拗《ねじ》けた瘤《こぶ》をつけ 波打つ襞《ひだ》を重ねる。岩室がぽっかり袋のように広くなったところもある。洞内の貫きよう、壁皴《かべひび》の模様、かてて加えて、岩徹る清水は岩の肌を程よく潤して洞は枯石の成るところのものとは思えない。女はなにかしら柔かくふにょふにょしたものの中を行くと思い做《な》されて来た。しかもそのなにかしらと感じていたものが、ふと生けるものの、女性の胎内とはかかるものではないかと思い浮べられて来たときに、女はわれ知らず、身体が熱くなり、顔の赭くなるのを覚えた。
岩角を一つ曲ると、かすかな燈火の灯かげに照し出され、一人の若い男が、天井から垂れ下っている大きな乳房に吸い付いて余念もなく啜っている不恰好なさまを見出した。女はつい松明を取落し「あらっ!」と叫ばざるを得なかった。
この若い男は、科野《しなの》国の獣神であって、福慈の女神により人間に化せしめられつつあるうち病気をしてしまったのでこの洞窟内で療養せしめられているのだといった。
男の吸う乳房は、やはり岩瘤の一つで天井から垂れ下ったものであるが、尖には乳首の形もあった。これに伝わって滴る雫は、霊晶の石を溶し来て白濁し、人間の母が胸から湧かすところの乳の雫そのままであった。
若い獣神はいう「この乳を、あの方は、生に対しても根が尽き果て、さればといって死へも急げない、生けるものに取っていちばん遣り切れないときに飲めと仰《おっ》しゃるんです。そのときがいちばん利くと。でも、そういう場合に飲もうとする努力は苦しいものですね」
若い獣神はしきりに咳き込んだ。水無瀬女は背を撫でて介抱してやった。
燈火のかすかな灯かげで女は獣神をよく見た。眼は落ち窪み 頬は痩《こ》け削《そ》げているが、やさしいたちの男らしかった。獣神にもこんな男がいるのか。女は眼を瞠った。ただ顔立ちに似気なく厚肉の唇は生《なま》の情慾に燃え血を塗ったようだった。男は荒い毛の獣の皮を着ていた。その衣の裾が岩床に敷くまわりに一ぱい痰《たん》が吐き捨ててあった。その痰の斑には濃い緑色のところと、黄緑色のところと、粘り白いところとある。淡く白いのは唾らしく無数の泡を浮べていた。眉をひそめて、それを眺めていると見て、男はそれを指しながらいった。
「こいつ等が、咽喉にうにょうにょして停滞しているときは、全く無作法な獣たちですね。私はそれが邪魔だから吐き出す。だがその度びに私から獣としてのいのちは吐き出されて行き、そのあとに果して人間のいのちが私に盛り上って来るか判りゃしません。いくらあの方が神仙の乳を飲まして下すったって……」
いうことがどういうふうに女に響くか窃視《ぬすみみ》したのち、
「ねえ、お嬢さん。それで私はこの憎らしい、私を苦しめる痰を、吐き出すときに、一々、舌の上に載せて味ってやるんですよ。獣のいのちの名残りにしてそれには淡く塩辛いのもあり、いくらか甘くて――」
といいかけたとき、女は急いで袖を自分の鼻口に当て手を差し出して止めた。
「もういいもういい。話は判っててよ」
女は、この類《たぐ》いで、この若き獣神が生きとし生けるものの醜悪の底の味いを愛惜し、嘗め潜って来たであろうことを察して、悪寒《おかん》のある身慄いをした。と同時に不思議や亀縮《かじか》んでいた異性に対する本能の触手が制約の撻《むち》を放れてすくと差し延べられるのを感じた。
男は苦しく薄笑いしながら、
「じゃ、こんな話は止めにしましょう、だがね、お嬢さん、洞の外は、すっかり春でしょう。青々とした春でしょうねえ。うらやましいこった」
といったときには、女はもうこの男の傍を離れ難くなっていた。女は、
「たとえ、この男が、伯母さんに失恋した、いわば伯母さんの剰りものにしたところで、いいや、あたしはこの男を得るかも知れない。あたしはもう伯母さんに嫉みも恨みもなくなった。伯母さんにはまた伯母さんとしてのたくさんな担いものがあるらしいから」
胸にこう自問自答して、女は洞の中の男の傍に介抱すべくとどまった。
山は晴れ、麓の富士桜は、咲きも残さず、散りも始めない一ぱいのときである。洞から水を汲みに出た水無瀬女は、浅黄の空に、在りとしも思えず、無しと見れば泛ぶかの気の姿の、伯母の福慈の女神に遇った。
女神はころころと笑った。
「水無瀬女よ、めぐし姪姫よ。山と岳神と二つになってる時代は去った。しばらくは人を中心にあめつちは支えられる。ただし、神を享けぬ人は低かろう、ただし獣の力を帯ばない人は弱かろう。看よ、看よ。わたしは山一つを人に遺して置く。山一つ。すべての訓えはこれにある。岳神のわたしは失《う》する。失することの楽しさ。失するということはあんた方の中に得ることである。あんたが悩むとき、美しくあるとき、青春に萌ゆるとき、わたしは在る。ほんとうに在る。あんたの肉体そのものに感ぜられるまでに、わたしは在る。今ぞわたしは失する。さくらの空に朗々と失することの楽しさ」
またころころと笑う声は、珠うち鳴らしつつ距り行くが如く、霞を貫きおお空の宙にまであとをひいていつとしもなく聞えなくなった。
福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。
不二の嶺《ね》のいや遠長き山路をも妹許《いもがり》訪へば気《け》に呻《よ》はず来《き》ぬ
富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉《わくたま》池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。
頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟《さがむ》国と呼ばれていた時代のことである。
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