の桜から受け始めました。無意味ににやにや笑うもの、天を仰《あお》いで合掌《がっしょう》するもの、襦袢《じゅばん》一つとなって、脱いだ着物を、うちかえしうちかえしては眺《なが》むるもの、髪をといたり束《たば》ねたりして小さな手鏡にうつし見るもの、附《つ》き添いに、おとなしく手をとられて常人のごとく安らかに芝生《しばふ》等の上を歩《あゆ》むもの、すべて老若《ろうにゃく》の男女《なんにょ》を合《あわ》せて十人近い患者の群《むれ》が、今しも、病房《びょうぼう》から昼餉《ひるげ》ののちの暫時《しばらく》を茲《ここ》へ遊歩に解放されて居るのだと分《わか》りました。桜花が、しっきりなしにそれらの上へ散りかかります。患者のうちのあるものは、うるさそうにそれを髪から払いのけ、あるものは手を振ってよけました。が多くは、細かい花びらが頬《ほお》を掠《かす》めて胸に入っても、一向《いっこう》無関心でありました。無関心が一層《いっそう》あわれを誘いました。私は、診察の順番を待つ間――一時間近く――うかうかとその場景《じょうけい》に見入って居《お》りました。先刻《せんこく》から、殊《こと》に私の眼をひいた一人の四十前後の男の患者がありました。日露戦争の出征《しゅっせい》軍歌を、くりかえしくりかえし歌っては、庭を巡回《じゅんかい》して居《い》ました、その一回の起点が丁度《ちょうど》私達の立って見て居る廊下《ろうか》の堅牢《けんろう》な硝子《ガラス》扉《とびら》の前なのです。男は其処《そこ》へ来る毎《ごと》に直立して、硝子扉|越《ごし》の私達を見上げ莞爾《かんじ》としては挙手《きょしゅ》の礼をしました。私達もだまって素直に礼を返してやりました。男はそれに満足しまた身を返して広い桜庭を円形に歩み出すのでありました。軍歌は、幅の広いバスで、しかもところどころひどくかすれるのです、それは気のふれたひとの声の特長だとあとで聞きましたが、まことに悲痛に聞《きこ》えました。男は日露戦争中負傷の際に気が狂って以来ずっと茲《ここ》の病房《びょうぼう》の患者であるそうですが、病状は慢性な代《かわ》りに挙措《きょそ》は極めて温和で安全であると聞きました。その可憐《かれん》な男が、私達の前の一回の起点へ来る度《たび》に、一度は一度より増して桜の花片《はなびら》を多く身に着けて来るのでした。とりわけ男の頭へ沢山《たくさん
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