とです。しかし、違うところ――つまりプラスとマイナスの相違となったのは、あなたのは何処までも教養で得た虚無であり、僕のは自我と熱情で強引に押し進めて行った結果のコチコチの殻を背負った虚無なのです。                
 僕は仄《ほの》かに力強いものをあなたに感じました。これ以上説明しにくいですが強いて云えば、あなたの空虚は――照らしているものの空虚――存在の意識を確めさせる空虚――夢中で弾ませる空虚――自然に在っては、微《かす》かな風に吹かれているときの花の茎に認められ――人間に在っては、一種の独断的な無心な状態に於けるとき湛《たた》えられている、あの何とも知れない無限で嫋《たお》やかな空虚――(後略)
[#ここで字下げ終わり]

 かの女は自分を虚無の殻に押し込め乍《なが》ら、まだまだ其処から陽の目を見よう見ようと※[#「※」は「足へん+宛」、第3水準1−92−36、658−上−27]《もが》いている規矩男の情熱の赤黒い蔓《つる》を感じる。そしてその蔓の尖《さき》は、上へ延びようとして却《かえ》って下へ深く潜って行く……かの女は自分を潔くするためにそれを見殺しする自分の行為が、勝手がましくも感ぜられて悲しい。かの女は自分の娘時代の寂しくも熱苦しかった悶《もだ》えを想《おも》い出した。
(山に来て二十日経ぬれどあたたかくわれをいたはる一樹だになし――娘時代のかの女の歌より)精神から見放しにされたまま、物足りなさに啜《すす》り泣いていた豊饒《ほうじょう》な肉体――かの女が規矩男のその肉体をまざまざ感じたその日、かの女は武蔵野へ規矩男を無断で置いて来た。それが最後で規矩男からかの女は訣《わか》れ去って来て仕舞ったのであった。
 その日規矩男の書斎から出た二人は、また武蔵野の初夏近い午後をぶらぶら歩き出した。一度日が陰って暗澹《あんたん》としたあたりの景色になったが、それを最後に空は全体として明るくなって来た。木々の若芽の叢《くさむら》が、垂れた房々を擡《もた》げてほのかに揮発性の匂《にお》いを発散する。山中の小さい峠の下り坂のようになって来た小径《こみち》は、赤土に湿りを帯びていて、かの女の履きものの踵《かかと》を、程よい粘度で一足一足に吸い込んだ。
 規矩男はまだシェストフについて云い続けていた。そして彼が衷心の感想を話す時のてれ[#「てれ」に傍点]隠しに、わざと昂然《こうぜん》とした態度を採る。その癖で今日も彼独得の陰性を帯びた背の反らし方をして、右手を絶えずやけに振り廻《まわ》していた。
「虚無でなければ無限絶対でないにしても嫋やかで魅力が無ければ僕たち人間には訴えて来ません」
 規矩男の云うことはだんだん独語的になって、何の意味か、かの女にも判らなくなって来た。しまいには規矩男はナポレオンの晩年の悲運を思わせる、か細く丸く尖《とが》った顎《あご》を内へ引いて苦笑した。稚気を帯びた糸切歯の根元に細い金冠が嵌《はま》っている。かの女は急に規矩男が不憫《ふびん》で堪《たま》らなくなった。かの女の堰《せ》きとめかねるような哀憐《あいれん》の情がつい仕草に出て、規矩男の胸元についているイラクサの穂をむしり取ってやった。高等学校の制服を、釦《ボタン》がはち[#「はち」に傍点]切れるほどぴったり身につけている。胸の肉は釦の筋に竪の谷を拵《こしら》えるほどむっちり盛り上っている。紺サージの布地を通して何ものかを尋ね迫りつつ尋ねあぐんでいる心臓の無駄な喘《あえ》ぎを感ずると、何か優しい嫋やかなものに覆い包んで、早くこの若者を靉靆《あいたい》とした気持にさせてやりたい薄霧のような熱情が、かの女の身内から湧《わ》きあがった。

 ……かの女は無言で規矩男の手を…………ただそれだけであったけれど……。

 かの女は唐突として規矩男から逃げ、武蔵野のとある往還へ出るまでのかの女は、ほとんど真しぐらに馳けた。その間雑木林の下道のゆるやかな坂を曲り、竹煮草《たけにぐさ》の森のような茂みの傍を通り、仄白い野菊の一ぱい咲いている野原の一片が眼に残り、やがて薄荷草《はっかそう》がくんくん匂って里近くなってきた往還で、かの女はタクシーを拾って、東京の山の手の自宅へ帰って来た。かの女の顔色は女中に見咎《みとが》められる程真青だった。かの女は自分の部屋へ入って半病人のように机の前に坐《すわ》ると「もう逢《あ》わない。もう逢わない」こう独言を云ってから規矩男に簡単な絶交状めいた手紙を書いた。
 その夜、かの女は晩《おそ》く、こんなことを話し合える夫と妻とについて内心不思議がりながら、逸作に規矩男と自分との経過のあらましを話した。
「はははは……。そんなことだったのか、そうかははは……。だけどお蔭で君の一郎熱が近頃余程緩和されてたね。なあに規矩男君にも時々逢うさ。そして一郎熱を緩和しながら、君ももうすこし落着いて仕事にかかりたまえ」
 逸作はこう云って莨《たばこ》に火をつけ、軽く笑い続け乍らかの女をまじまじと視《み》ていたが、
「きみい(君)、規矩男君の許嫁《いいなずけ》や僕に済まないと思わないで、一郎にばかり済まないって面白いなあ……ははは……」
「……その済まなさも私の何処かに漠然と潜んでいたには違いないのよ。でもそれは単なる道徳上の済まなさになるんだから、そんなに強いもんじゃないでしょう。こっちはしんからびりびりッと本能の皮膚にさわって来たのよ、もっともこの問題はむす子を仲介にして始まったんですから、むす子への済まなさが中心になったのがあたり前でしょうけど」
 かの女はそう云って仕舞って、ふっと涙ぐんだ。かの女が何と云い訳しようとも、道徳よりも義理よりも、そしてあんなにも哀切な規矩男への愛情よりも、もっと心の奥底から子を涜《けが》したくなかった母の本能、しかく潔癖に、しかく敏感に、しかく本能的にもより本能的なる母の本能――それには、「むす子に済まない」そんなまだるい一通りな詞が結局当て嵌るべくもないのに、今更かの女は気がついた。むす子の存在の仲介によって発展した事情に於て××××……それを母の本能が怒ったのだ、何物の汚涜《おとく》も許さぬ母性の激怒が、かの女を規矩男から叱駆《しっく》したのだ。


 四五年の日月が経過した。
 むす子の画業は着々進んでいるらしく、ラントランシジャンとかそう云った手堅い巴里新聞《パリしんぶん》の学芸欄に、世界尖鋭画壇《せかいせんえいがだん》の有望画家の十指の一人にむす子の名前が報じられて来るようになって来た。むす子はその中でも最年少者で唯一の日本人であるだけに、特別の期待の眼を向けられている様子だった。
「まあ一郎が、まあ嘘《うそ》みたいな話ね。でも有難いわ。やっぱり真面目《まじめ》にやって呉《く》れたのね」
 かの女には僥倖《ぎょうこう》という気持と、当然という自信に充《み》ちた気持とが縺《もつ》れ合った。
 芸術という難航の世界、夫をそれに送りつけ、自分もその渦中に在る。つくづくその世界の有為転変を知るかの女は、世間の風聞にもはや動かされなくなっているにしても、しかし、それを通じて風浪の荒い航行中に、少くともかの女のむす子は舵《かじ》を正しく執りつつあるのを見て取った。健気《けなげ》なむす子よ、とかの女は心で繰り返した。
「やっぱり君の子だ」
 夫の逸作は、彼もうれしさを抑え乍ら、はたで鷹揚《おうよう》に見ている態度だった。年少の画学生時代に貧困で巴里留学を遂げられなかった理想の夢を、彼は今やむす子に実現さしている。運命に対する復讐《ふくしゅう》の快さを味わっている。それだけで満足している。
 だのにむす子は真摯《しんし》な爪を磨いて、堅い芸術の鉄壁に一条の穴を穿《うが》ちかけている。彼は僥倖《ぎょうこう》というよりも、これをむす子の本能と見るよりしか仕方がなかった。
「やっぱり君のむす子だ」
 逸作は、はじめかの女にいった言葉の意味と違った感慨をもって同じ言葉を二度云った。
「なにしろ、芸術餓鬼の子だからね」
 するとかの女はからからと笑った。
 芸術餓鬼といわれて、怒りも歓《よろこ》びもしないで、かの女のただ笑うだけである笑いには、寒白いものがあった。
 兄弟の中で、二人までこの道に躓《つまず》いて生命を滅したものを持つかの女は、一家中でこの道に殉ずる最後唯一の人間と見なければならなかった。木の芽のような軟《やわらか》い心と、火のような激情の性質をもった超現実的な娘が、これほど大きくなったむす子を持つまでに、この世に成長したのは不思議である。そして、芸術という正体の掴《つか》み難いものに、娘時代同様、日夜、蚕が桑を食《は》むように噛《か》み入っている。
 逸作には、人間の好みとか意志とかいうもの以上に、一族に流れている無形な逞《たくま》しいものが、かの女を一族の最後の堡塁《ほるい》として、支えているとしか思えなかった。それは既に本能化したものである。盲目の偉大な力である。今や、はね散って、むす子の上に烽火を揚げている。逸作は実に心中|讃嘆《さんたん》し度《た》いような気持もあり乍《なが》ら、口ではふだんからかの女に「芸術餓鬼」などとあだ名をつけてからかって居る。


 或る日勤め先から帰って来た逸作がかの女に云った。
「おいおい、この間|巴里《パリ》から帰って来た社(逸作の勤め先)の島村君が態々《わざわざ》僕に云いに来たんだ。一郎君によく巴里で逢《あ》いました。実にしっかりやっておいでです。僕が何よりも嬉《うれ》しく思ったのは、一郎君が僕は僕をこんなに暮させていて呉《く》れるあんな親を持って仕合せです。否仕合せと思わなければならないといつも思ってますって、一郎君が云われたことです、とさ」
 かの女は手を合わせて拝み度くなった。それは何処へかわからない、ただ有難い。徒《いたず》らに大きな理想を持っても万人は愚か、自分自身でさえ幸福になり得ない非力な人間が、ともかくもわが子とは云え、一人立派に成長した男子を今や完全な幸福感に置いている――それでまた親の責務の一端が肩から降りた気もするのである。かの女はいつも思っている。こんな生きる責務の重い世の中へ親あればこそ生れ来たった子。この世に出ようという意志が子にあって、自ら進んで出て来たわけでもないものを、親は先《ま》ず本能愛以外の明瞭《めいりょう》な責任観念からも、この世に於ける子の運命の最大責務者とならなければならない。その子に仕合せと一言でも感謝されるまでには、幾多の親の責任感と切実な哀憐《あいれん》が子に送られた結果なのである。そしてそれはまた、子に責任感を十分感じる親の報いられたる幸福でもあらねばならぬ。


 数年間に巴里のむす子からかの女に宛《あ》てて寄越した手紙は百通以上にもなる。自分の現状を報じ、芸術の傾向を語り、ちょっとした走り書きの旅行便りからも、かの女はむす子がこの稚純晩成質の母である自分を強くし、人生の如何なる現実にも傷まず生きられるよう、しっかりした性根と、抵抗力のある心の皮膚を鍛えしむるよう心懸けている本能的なものが感じられた。
 かの女はそれを読む度に、涙ぐんで笑いながら、
「それは、また、お前がお前自身に対する註文なのじゃないか。親子は共通の弱点を持っている。お前はよくも、そこに気がついた」
 そしてさすがは男の子だ。むす子は孤独の寂しみと、他人の中の苦労によって、見事その弱点を克服しつつある。そして遥《はる》かに母を策動する。いや味ということの嫌いな男の子は、策動するにもわざと感情を見せないで、つけつけ物を云う。かの女を手荒そうに取り扱って、その些細《ささい》な近況からも、実人生の試験をするように細心な見張りを隠しながら、秘《ひそ》かに母の力を培わしている。かの女は、よくむす子と連れ立って巴里の街を歩くときのむす子の態度を思い出した。
「馬鹿だなあ」「僕もう知りませんよ」
 かの女が、ともすれば何事かを空想しながら、車馬轢轆《しゃばれきろく》たる往還を、サインに関らずふらりふらり横切ったり、車道に斜にはみ出したりする迂
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