のである。そこにはもう、何も彼も忘れて、子供をからかえる素朴な母になって、春の一夜を過したいかの女が在るばかりだった。
すると憂鬱に黙っていた牛のような青年が、何を感じたか、むっつりした声で怒鳴った。
「ママン、万歳!」
「この男はアルトゥールと云って、独逸《ドイツ》が混ってるフランス人ですがね」
とむす子は日本語がみんなに判らぬのを幸い、かの女に露骨に説明した。
「いい思いつきを持ってる店頭建築の意匠家ですがね。何か感激したものを持たないと決して仕事をしないのです。つまり恋なのですが、随分七難かしい恋愛を求めてるんです。僕のみるところでは、姉とか母とかの愛のようなものを恋愛によそえて求めてるようなのですが、当人は飽くまでもただの恋愛だといって頑張ってるんです。西洋人の中には随分独断の奴が多いのです。自分の考えていることを一々実際にやってみて、行き詰って額をぶつけてからでないと承知しないのです。このアルトゥールもその一人ですが、そんな理ですから、また、この男くらい恋愛を簡単に女に投げかけてみて、そして深刻に失敗した奴も少いでしょう。つまり、こいつぐらい恋愛の場数を踏みながら、まだ恋愛
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