方は生れて間も無い頃でしたから御記憶がないでしょうが、あなたのお母様や私共は本当に戦争の惨忍さを、まざまざ味わわされたのです。●
女達は不安と饑餓で死にそうでした。夫は右足を砲弾の破片で傷けられ、切断されて一度帰って来ましたが義足で歩けるようになると再び召集されました。そして二度目に帰って来た時は、どうでしたろう。ドイツ人が始めて発明した毒|瓦斯《ガス》でやられたのです。而かも敵の毒瓦斯か、味方のものか解らないのです。其の毒瓦斯に気管から肺を侵されて恐ろしい喘息《ぜんそく》になったのです。夜昼なしの十年間の苦しみでした。ウウウーと唸る声は夫の死後八年の今でも私の耳の底に響いて聞えます。憎むべき戦争! 私の夫を嬲殺《なぶりごろ》しにしました。私はやっとジャネットとウイリーの為めに生き続けて来ました。あなたのお母様も屹度《きっと》あなたを頼りに生きておいでに違いない。私共女は落ち付いて静かな深い愛を以って此頃の不安の国際関係を朗らかな親しいものにするよう努力しなければならぬと思います。そして努めて努めても駄目な時、其の時こそ正義の為め、愛の敵の為め闘いましょう。あなたはそうは思いませんか?」暫らく言葉を切ったイリデ叔母はウイリーの方をちらっと見て――
「だのにウイリーはナチスの党員になって、先日も突撃隊を志願すると言うの。しまいにはローマや巴里へでも突撃して行くつもりでしょうよ」
と言葉をつぎました。イリデ叔母様は眼も鼻も、くしゃくしゃにしてハンケチでこすって居らっしゃいました。ジャネットもイボギンヌもウイリーさえも泣きました。ウイリーは母の肩をさすって――「突撃隊志願はもう止めたよ、心配しなくともよい」――って言いました。ママは何故イリデ叔母様のように胸の悲しみを私に打ち明けて下さいませんでしたの。でも今こそママの苦しかったことを察することが出来ます。私はママの為めに、イリデ叔母様の為めにも陸軍飛行隊へなんか習いに行きません。次ぎの欧洲大戦の始まるまで飛行家志願はおあずけにして置きましょう。安心して下さい。ママ、愈々明後日、私達三人打ちそろってベルリンのツオー駅を出発して和蘭《オランダ》を通って、丁度此の手紙の着く翌日頃にはロンドンのリバプール・ストリート駅へ到着します。私はママの心の中に融け込むような、なごやかな気持ちで帰って行きます、楽しみにして待って居て下さい…
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