ボギンヌを促がして帰って眠《ねむり》ました。帰途イボギンヌにあの大砲で雲が撒《ち》った事があるのかと尋ねて見たら、稀《まれ》に火薬の破裂で濃い雲が散った事があるそうです。今朝は晴れて一点の雲もありません。村人達は昨晩の天災の残した跡を修理に忙がしがって居ます。愈々《いよいよ》明日は巴里へ帰ります。イボギンヌの家で二日休んで直ぐ二人して予定のベルリンのジャネットの所へ向う計画です。
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六月二十日 第五信(ベルリンにて)
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ママ、私共は昨晩十時五十分に巴里の北停車場からベルリン行きの国際列車に乗って途中|白耳義《ベルギー》に入りましたが夜中で眠って居たので知らずに通過して仕舞いました。やっと起きた朝八時頃にはもうドイツへ入って来ました。今日午後四時頃ベルリンのフリードリッヒ駅へ到着しました。ジャネットが直ぐ見付けて呉れました。ジャネットは思ったよりも大がらで、たくましくて日に焦《や》けて男の様な体格をして居るのに吃驚《びっくり》しました。ジャネットは英仏語がどちらも下手《へた》です。ジャネットの家族は母と兄のウイリーとだけの淋しい三人暮しだと言う事も、食料品店だという事も、イボギンヌ宛の手紙で私達は知って居ましたが、斯んなに家が狭くて貧しいとは想って居ませんでした。何もかも予想以外です。近隣の人達は誰れも不愉快そうな顔をして居ます。街には何んだか絶望のようなものを感じます。戦敗国の如何に惨めな事に深く心を打たれました。私達はたとえ独逸《ドイツ》を知り其の国語を習うためとは言え、陰惨なベルリンへやって来た事を少し後悔して居ります。でも二三日居付いたら、どう私達の考えが変るかわかりません。
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六月二十一日 第六信(ベルリンにて)
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今日は一日ジャネットの家で話して暮しました。ジャネットの母はイリデと言うの。大変に憔《やつ》れて居るわ。私達の独逸語を習いたい事を話したら、笑って、――つまらない事だ、斯んな国の言葉を憶えたって役に立たないでしょう。でも昔は帝政時代のドイツはどんなに立派だったか、見せたい――
と言いました。ジャネットの兄のウイリーは目下仕事がないので大学の講義を聴きに行きます。仕事があれば――道路|普請《ぶしん》の人夫でも――大学を止めて働きに行くそうです。イリデ叔母
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