を綾取っていた。一人は建築学校教授の娘カテリイヌ。一人は遊《あそ》び女《め》のリサであった。それからまだその頃は東京に残して来た若い妻も新吉のこゝろに残像をはっきりさせていた。かえってそれが新吉の心にある為めに、フランスの二人の女の浸み込む下地が出来ていたとも言えよう。
七月一日の午後四時新吉は隣の巴里一流服装家ベッシェール夫人の小庭でお茶に招ばれていた。
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――あなたに阿呆の第一日が来ましたわね。」
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ベッシェール夫人は新吉の茶碗に紅茶をつぎながら言った。彼女は中年を過ぎていて、もう自分が美人であることを何とも思わなくなっているような女だった。この夫人にそういう淡泊な処もあるので随分突飛な事や執《し》つこい目に時々遇っても新吉は案外うるさく感じないで済んでいる。
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――まったく七月に入って巴里にいると蒼空までが間が抜けたような気がしますね。」
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彼女は漠然とした明るく寂しい巴里の空を一寸見上げて深い息をした。新吉は菓子フォークで頭を押えるとリキュール酒が銀紙へ甘い匂いを立てゝ浸み出るサワラを弄《もてあそ》びながら言った。
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――一つは競馬が終ってしまったせいでしょうか。」
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ロンシャンの大懸賞《グランプリ》も、オートイユの障害物競馬も先週で打ちどめになった。
ベッシェール夫人は藤のテーブルの上へ置いた紅茶の瓶口の下についている雫《しずく》止めのゴム蝶の曲ったのを、一寸《ちょっと》直し、濡れた指を手首に挟んだハンカチで拭くとその手をずっと伸して新吉の顎にかけて自分に真向きに向かせる。
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――さあ、そんな他所事《よそごと》ばかり言ってないでもう仰《おっ》しゃいな。なぜ今年は巴里祭に残っているかって言うことを。あたしはどうもたゞの残り方じゃないと睨《にら》んでいるのよ。様子だってふだんと違っていらっしゃるわ。」
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新吉は気が付いて見ると成程此のテーブルへ来て二十分ほど経つのに顔をうつ向けてばかりいた。今更あわてゝ眼を二つ三つ瞬いて空や庭を見廻す。刈り込んだ芝生に紅白の夏花が刺繍《ししゅう》のように盛上っている。
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――まるで子供ね。胡麻化すつもりでいらっしゃる。」
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夫人は狡《ずる》そうに微笑しながら暫らく新吉の顔を見詰めた。この青年に恋して居るというわけではない。然しこの青年がもし他の女に恋しているとでもなったら嫉妬から彼女の気持ちの向きがどう変るかも判らない。いびつな夫婦生活ばかりして来て、とうとうそれも破れて仕舞った此の老美人の悲運が他人の性愛生活にまで妙な干渉を始めるようになっていた。
新吉は巴里の女に顎をつまゝれる事位いには慣れ切って居る。新吉は落着いて煙草ケースから一本取出して投げやりに口に銜《くわ》えた。夫人にも一本勧めて、それからライターで二人の煙草に火をつける。二人の口から吐く最初の煙のテンポが同じだったので、それがおかしかった。二人は笑った。寛《くつ》ろげられた気持ちに乗って夫人はこんなことを言った。
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――どうしてもあなたが言わないなら、あたし嫌味なことを言いますよ。あんたまさかあたしの為めに巴里にお残りになるんじゃないでしょうね。」
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新吉は折角さら/\と説明出来そうに思えていた今の一瞬の気持ちをこの言葉で閉じられてしまった。もし夫人のこの悪ふざけの言葉に応答えする調子で自分の企てを話したら気持ちの筋道は飲み込ませられるかも知れないがその実質はとても覚束ない。それほど今度の思い立ちは情緒の肌理《きめ》のこまかいものだ。いまはむしろ小説なら表題を告げて置くだけの方がこの女の親しみに酬いる最も好意ある方法だ。それで新吉は砂糖を入れ足すのを忘れている甘味の薄い茶を一杯飲み乾すとこう言った。
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――マダム。僕はね。料理にしますとあまりに巴里の特別料理《スペシアリテ》を食べ過ぎました。それでね。普通の定食料理《ターブル・ドート》が恋しくなったんです。」
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夫人の調子は案の定、今口に出した思い付きの一言に煽《あお》られてそれ[#「それ」に傍点]者らしい飛躍を帯びて来た。
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――じゃ。お祭りに出た女中さんでも引っかけ、世間並の若い衆になりたいとでもおっしゃるの。」
――まさかね。でも今あ
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