に背中を見せる。給仕《ギャルソン》がブリオーシュ(パン菓子)を籠に積み直してテーブルに腹匍《はらば》いになって拭く。往来の人影も一層濃くなって酒に寛《くつろ》げられた笑い声が午後の日射しのなかに爆発する。群衆の隙から斜めに見えるオペラの辻の角のカフェ・ド・ラ・ペイには双眼鏡を肩から釣り下げたり、写真機を持った観光の外人客が並んで、行人に鼻を突き合せるほど道路にせり出して、之れが花の巴里の賑いかと気を奪われたような、むずかしい顔をして眺めて居る。行ったり来たりして、しつこく附纏う南京豆売り、壁紙売り。角のカフェ・ド・ラ・ペイとこっちのイタリー街の角との間は小広く引込んだ道になっていて、其の突当りがグランド・オペラだが此所からは見えない。たゞその前の地下鉄の停留所の階段口から人の塊が水門の渦のようになって、もく/\と吐き出されるのが見える。
 暫らく雲が途絶えたと見え、夏の陽がぎらぎら此の巷《ちまた》に照りつけて来た。キャフェの差し出し日覆いは明るい布地にくっきりと赤と黒の縞目を浮き出させて其の下にいる客をいかにも涼しそうに楽しく見せる。他の店の黄色或いは丹色の日覆いも旗の色と共に眼に効果を現わして来た。包囲した鬨《とき》の声のような喧騒に混って音楽の音が八方から伝わる。
 新吉は向う側の装身具店の日覆いの下に濃い陰に取り込められ、却《かえ》って目立ち出した雲母の皮膚を持つマネキン人形や真珠のレースの滝や、プラチナやダイヤモンドに噛みついているつくりものゝ狆《ちん》や、そういう店飾りを群集の人影の明滅の間からぼんやり眺めて、流石に巴里の中心地もどことなくアメリカ人の好みに佞《おもね》ってアメリカ化されているけはい[#「けはい」に傍点]を感じた。けば/\しい虎の皮の外套を着たアメリカ女。早昼食《クイックランチ》。「御勘定は弗《ドル》で結構でございます。」と書いた喰べ物屋のびら[#「びら」に傍点]。筋向いのフォードの巴里支店では新型十万台廉売の広告をしている。
 食後の胃のけだるさがそうさせるのか新吉の不均衡な感情は無暗に巴里の軽薄を憎み度くなってじれ/\して来た。その時ジャネットが彼を顧向《ふりむ》いて夫人との間の話に合図を打たせようと身体を寄せて言った。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
――どう。そうじゃなくて。ムッシュウ。」
[#ここで字下げ終わり]
 
前へ 次へ
全37ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング