で今や一《ひと》かどのことをやり出した。勿体《もったい》ない、私のような者の子によくもそんな男の子が……と言えば「あなたの肉体ではない、あなたの徹《てっ》した母性愛が生んだのです」と人々もお前も、なおなお勿体ないことを言って呉《く》れる。
 私たちの一家は、親子三人芸術に関係している。都合《つごう》のいいこともあれば都合の悪いこともある。しかし今更《いまさら》このことを喜憂《きゆう》しても始まらない。本能的なものが運命をそう招いたと思うより仕方《しかた》がない。だが、すでにこの道に入った以上、左顧右眄《さこうべん》すべきではない。殉《じゅん》ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまでやりましょう。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。だが殉ずるところに刻々《こっこく》の発見がある。本格の芸術の使命は実に「生」を学び、「人間」を開顕《かいけん》して、新しき「いのち」を創造するところに在《あ》る。斯《かか》るときに於《おい》てはじめて芸術は人類に必需《ひつじゅ》で、自他《じた》共に恵沢《けいたく》を与えられる仁術《じんじゅつ》となる。一時の人気や枝葉《しよう》の美に戸惑《とまど》ってはいけない。いっそやるなら、ここまで踏み入《い》ることです。おまえは、うちの家族のことを芸術の挺身隊《ていしんたい》と言ったが、今こそ首肯《しゅこう》する。
 私は、巴里《パリ》から帰って来ておまえのことを話して呉《く》れる人|毎《ごと》に必ず訊《き》く、
「タローは、少しは大きくなりましたか。」
 すると、みんな答えて呉れる。
「どうして、立派な一人前の方です。」
 ほんとうにそうか、ほんとうにそうなのか。
 私が訊いたのは何も背丈《せた》けのことばかりではない。西洋人に伍《ご》して角逐《かくちく》出来る体力や気魄《きはく》に就《つい》て探りを入れたのである。
「むすこは巴里の花形画家で、おやじゃ野原のへぼ絵描《えか》き……」
 こんな鼻唄《はなうた》をうたいながら、お父様はこの頃、何を思ったかおまえの美術学校時代の壊《こわ》れた絵の具箱を肩に担《かつ》いでときどき晴れた野原へ写生に出かける。黙ってはいられるが、おまえの懐《なつ》かしさに堪《た》えられないからであろう。



底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
※「ちぢりっ毛」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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