を寄越さなければならないほどの感情にあふれた走《はし》り書《がき》を私が郵送するのも多くそういうときである。だが、おまえが何といおうとも、私はこれからもおまえにああいう手紙を書き送る。何故《なぜ》ならば、それを止《や》めることは私にとって生理的にも悪い。
おまえは、健康で、着々《ちゃくちゃく》、画業《がぎょう》を進捗《しんちょく》していることは、そっちからの新聞雑誌で見るばかりでなく、この間来たクルト・セリグマン氏の口からも、または横光|利一《りいち》さんの旅行文、読売の巴里《パリ》特派員松尾|邦之助《くにのすけ》氏の日本の美術雑誌通信でも親《した》しく見聞きして嬉《うれ》しい。健気《けなげ》なむす子よと言い送り度《た》い。年少で親を離れ異国の都で、よくも路《みち》を尋《たず》ね、向きを探って正しくも辿《たど》り行くものである。辛《つら》いこともあったろう。辱《はずか》しめも忍《しの》ばねばならなかったろう。一《いっ》たい、おまえは私に似て情熱家肌の純情屋さんなのに、よくも、そこを矯《た》め堪《こら》えて、現実に生きる歩調に性情を鍛《きた》え直そうとした。
「おかあさん、感情家だけではいけませんよ。生きるという事実の上に根を置いて、冷酷《れいこく》なほどに思索《しさく》の歩《あゆ》みを進めて下さい。」
お前は最近の手紙にこう書いた。私はおまえのいうことを素直に受容《うけい》れる。だが、この言葉はまた、おまえ自身、頑《かたくな》な現実の壁に行き当《あた》って、さまざまに苦しみ抜いた果ての体験から来る自戒《じかい》の言葉ではあるまいか。とすれば、おまえの血と汗の籠《こも》った言葉だ。言葉は普通でも内容には沸々《ふつふつ》と熱いものが沸《わ》いている。戒《いまし》めとして永く大事にこの言葉の意味の自戒《じかい》を保《も》ち合って行こう。
私たちがおまえを巴里へ残して来たことは、おまえの父の青年画学生時代の理想を子のおまえに依《よ》って実現さすことであり、また、巴里は絵画の本場の道場だからである。しかし、無理をして勉強せよとも、是非《ぜひ》偉《えら》くなれとも私たちは決して言わなかった。ただ分相応《ぶんそうおう》にその道に精進《しょうじん》すべきは人間の職分《しょくぶん》として当然のことであるとだけは言った。だのに、おまえはその本場の巴里で新画壇の世界的な作家達と並ん
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