のをそのままにして向う横丁へ入ってお京さんの家を染物屋で聞くと、直ぐわかった。竹垣の外にちゃぼひばのある平家《ひらや》で山田流の琴が鳴っている。加奈子は格子を開けて言った。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――お京さん。あたしよ。帰ってよ。
[#ここで字下げ終わり]
 すぐ琴がとまった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――アントレ!
[#ここで字下げ終わり]
 そして飛びついて来たお京さんの勢いで折角《せっかく》の豆腐はこなごなになった。お京さんの病気はまだすっかりなおって居ない。そして少し気の狂った病的な円熟が中年の美女のいろ艶を一層凄艶にして居た。
「あなたに逢って何もかもうれしい」
 そして、そこの襖《ふすま》を開けて出て来た少年に向って言った。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――喜与司さん、このお方のお手々に握手なさい。
[#ここで字下げ終わり]
 加奈子の丸い手が少年の濡れてるように、しなやかな小さい手と握り合った。加奈子はそれがさっき加奈子のあとを二度目につけた少年であることを発見した。



底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「鶴は病みき」信正社
   1936(昭和11)年10月20日発行
初出:「三田文学」
   1934(昭和9)年6月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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