れは少年のような身軽さでもあり、自分の持地に入った園主のような気儘《きまま》さでもある。そしてときどき私に
「いいでしょう、東海道は」
 と同感を強いた。私は
「まあね」と答えるより仕方がなかった。
 ふと、私は古典に浸る人間には、どこかその中からロマンチックなものを求める本能があるのではあるまいかなど考えた。あんまり突如として入った別天地に私は草臥《くたび》れるのも忘れて、ただ、せっせと主人について歩いて行くうちどのくらいたったか、ここが峠だという展望のある平地へ出て、家が二三軒ある。
「十団子《とおだご》も小粒になりぬ秋の風という許六《きょろく》の句にあるその十団子《とおだんご》を、もとこの辺で売ってたのだが」
 主人はそう言いながら、一軒の駄菓子ものを並べて草鞋《わらじ》など吊ってある店先へ私を休ませた。
 私たちがおかみさんの運んで来た渋茶を飲んでいると、古障子を開けて呉絽《ごろ》の羽織を着た中老の男が出て来て声をかけた。
「いよう、珍らしいところで逢った」
「や、作楽井《さくらい》さんか、まだこの辺にいたのかね。もっとも、さっき丸子では峠にかかっているとは聞いたが」
 と主人は応《こた》える。
「坂の途中で、江尻へ忘れて来た仕事のこと思い出してさ。帰らなきゃなるまい。いま、奥で一ぱい飲みながら考えていたところさ」
 中老の男はじろじろ私を見るので主人は正直に私の身元を紹介した。中老の男は私には丁寧《ていねい》に
「自分も絵の端くれを描きますが、いや、その他、何やかや八百屋でして」
 男はちょっと軒端《のきば》から空を見上げたが
「どうだ、日もまだ丁度ぐらいだ。奥で僕と一ぱいやってかんかね。昼飯も食うてったらどうです」
 と案内顔に奥へ入りかけた。主人は青年ながら家で父と晩酌を飲む口なので、私の顔をちょっと見た。私は作楽井というこの男の人なつかしそうな眼元を見ると、反対するのが悪いような気がしたので
「私は構いませんわ」と言った。
 粗壁の田舎家の奥座敷で主人と中老の男の盃の献酬がはじまる。裏の障子を開けた外は重なった峯の岨《そば》が見開きになって、その間から遠州の平野が見晴せるのだろうが濃い霞が澱《よど》んでかかり、金色にやや透けているのは菜の花畑らしい。覗きに来る子供を叱りながらおかみさんが斡旋《あっせん》する。私はどこまで旧時代の底に沈ませられて行くか
前へ 次へ
全16ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング