べくなさいませんように、追々お話をほぐして頂き度う御座います。でないとまたとんだつむじを曲げまいものでも御座いませんので」
「はい承知いたしました」
遜が一かどの儀容を整えにかかるとき佝僂乍ら一種の品格が備わるのであった。荘子は扉を無器用に開けて土間へ入って来た。快晴の日の外気を吸って皮膚は生々した艶を浮べて健康そうに上気した顔は荘子の洛邑に住居した時代の美貌をいくらか取り返したように見えた。
「ひるの刻げんになりました。酒など温め、上座へお席をあらためておもてなしを致しましょう」
と云い乍ら厨《くりや》へ去った田氏に代って荘子は空いた牀几《しょうぎ》に腰を下した。
荘子は先ず先頃洛邑での遜のあついもてなしを謝したのち、次には黙って掌を示し、仰向けた指の付根に幾粒も並ぶマメを撫でて遜に見せた。遜は落付いた声音で云った。
「あなたは薪を割って愉快な日頃をお過しですが洛邑では不興が起りました」
「え、それは何ですか遜さん」
「麗姫がな、あれからすっかり変りました」
「なに麗姫が? 麗姫が何とかしましたか」
「あなたが麗姫を尋ねて洛邑を退出なさった頃から麗姫が変り始めましたな。今までの我儘を恥じる恥じるとそればかり申してな。髪形は気にする言葉使いは気にする。人の評判は気にするからもう以前の麗姫では無くなりました。どうしたことでしょう。それで却って洛邑の人気を落して仕舞ったわけです。あの娘はあの勝手気儘なところで人を引きつけて居たのですからな。で私は云ってやりました。荘先生がそなたの我儘を見に来たと云われたのは却ってそなたののびのびして生きて居られる様子を快哉《かいさい》に感じられ「道」を極める荘先生に好い影響さえお与え申したのだ。見当違いに恥じたりなさるな。と呉々《くれぐれ》も申し聞かせたのですが駄目です」
荘子は腕を措き眼を瞑《つむ》って深く考え沈んで居たがやがて沈痛な声の調子で云った。
「然《しか》し、それもまた天恵に依る物化の一道程かも知れないから、致し方もあるまい。丁度わしが書物や筆を捨てて薪割りの斧を取上げたようにな」
遜はまじまじと荘子の顔を見て居たがややせき込んだ調子で云った。
「私には何もかもまだはっきりと分りませんが、斯《こ》ういうことも麗姫に云って聞かせてやったのです。南海に※[#「條」の「木」に代えて「黨−尚」、第3水準1−14−46]《しゅく》という名前の帝があった。北海に忽《こつ》という名前の帝があった。二人は中央の帝の渾沌《こんとん》を訪問した。渾沌は二人を歓迎し大へん優遇した。そこで客の二人は何とかして礼をしようと思い相談したことには、=人にはみな七竅《しちきょう》がある。それで視聴食息する。ところが渾沌はそれが無い。われわれの好意で丸坊主の渾沌に七竅を穿《うが》ってやろうでは無いか。そこで二人は渾沌に日に一竅ずつを鑿《ほ》った。そしたら七日目に渾沌は死んでしまった。=どうだ天賦自然の性質をためようなんて量見《りょうけん》は間違っていよう。荘先生がお聞きになったら却って苦々しくお思いになろう。と斯うまでもさとして見ましたが、別にそれには返事もしませんで、私が以前こしらえてやりました「麗姫の活人形」を取出しまして、今度櫟社の里の先生のお宅へいらっしゃる時かならずこれを先生御夫妻に差し上げて下さい。先生御夫妻が可愛がって下さった頃の麗姫のかたみだと申し添えてお届けして欲しいと申して………」
遜は土間の隅に大きな包みを抱え、うずくまって居る従者を顧み幾重にもからめた包装を解かせた。
扉のそとの外光を背にした麗姫の活人形が薄暗い土間につと躍り出た。
「あれ、麗姫が!……」
矢庭《やにわ》に驚駭《きょうがい》の声を立てたのは今しも其処《そこ》に酒杯の盆を運んで来た田氏であった。
底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「鶴は病みき」信正社
1936(昭和11)年10月20日発行
初出:「三田文学」
1935(昭和10)年12月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
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