うがさ》をさすと同じ様にしています。
一平 つまり新しいという事を使用しているんだね。丁度《ちょうど》円太郎《えんたろう》自働車《じどうしゃ》の様に使用しているんだ。
かの子 そうです。
一平 電気の様に内容は分《わか》らなくても使用するだけの能力はあるんだ。
かの子 便利だからですね。
一平 僕はあの小説を読むと描き方はやわらかく感じるが、あの女は格別《かくべつ》新しいとは思わないね。
かの子 ただ何となく垢抜《あかぬ》けした感じがします。あれは散々《さんざん》今の新しさが使用し尽《つく》された後のレベルから今|一《いち》だん洗練を経《へ》た後に生《うま》れた女です。格別の新しがらなくとも新《あた》らしい智識《ちしき》の洗礼を受けたのちの彼女|等《ら》の素直さと女らしい愛らしさと皓潔《こうけつ》な放胆《ほうたん》がぎすぎすした理窟《りくつ》や気障《きざ》な特別な新らしがりより新らしいのでしょう。
一平 昔の新しい女は勇気はあったが、垢抜けしていなかった。どこか自然主義かリアリズムだった。ではこれからの女は今までの新らしさを土台にして垢抜けすることが一特色になるのかね。
かの子 宜《よ》い調和と賢《かしこ》い素直さと皓潔な放胆で適宜《てきぎ》に生きるというほどいつの時代にだって新鮮な生き方はなかろうと思いますわ。
一平 近代の青年は全《まった》く暗い影のない、何というかツルツル滑《すべ》った、そして危い程《ほど》ヒラヒラしたとりとめのない程その場その場で動いて行く。それに丁度適応する近代的女性があるだろうか。
かの子 宜《よ》い理智《りち》から明快に生きる青年と時代のカスをなめてただ軽薄《けいはく》にその場その場の生活をするのと両方でしょうね。もちろん女性にもそれに適応した型が幾つもの差別で存在してます。近代青年に対するあなたの観察は勿論《もちろん》一部分に対するものとしては誤《あやま》っては居《い》ません。が比較的に云《い》って、近代の青年は案外真面目な思想を抱いているものが多い様《よう》です。例えば彼|等《ら》の女性観を聞くと自分自身が女性でありながら一《い》ち一ち傾聴《けいちょう》せずには居られない位《くらい》に深刻に女性を解剖《かいぼう》しています。
一平 近代女性の恋愛はどうかね。今の青年は恋は出来《でき》ないと云っていて而《しか》も恋はするけどごく刹那《せつな》的恋を追って行くという傾向だろう。だから女の方の傾向もそうじゃないかね。男の方にはヘロイズムがなくなって享楽《きょうらく》生活を非常に重要視している。
かの子 女の方も女の権利とか位置とかを楯《たて》にして案外|浅薄《せんぱく》な利己主義な、お芝居気《しばいけ》を満足させるための気障《きざ》なのも往々《おうおう》にして見受けます。むしろ一般の風潮《ふうちょう》が多くそうであると云い度《た》い位です。そして反射神経でありあわせなラブレターの書式など、実にうまくなりましたこと。然《しか》しほんとうの恋をする女があるということは物論《もちろん》昔も今も決して変《かわ》ろう筈《はず》はありません。真当の恋というものの本質も標準も私が必ず知って居るというわけではないけれど、とにかくより執拗《しつよう》なより永遠的なものということですの。



底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
※「青踏《せいとう》時代」「心よさ」「流通|無碍《むげ》」「巧利《こうり》」「理窟《りくつ》」「物論《もちろん》」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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