って小さい截片を一つ撮み取って食べる。
「あら、ほんとにおいしいのね」
眼を空にして、割烹衣《かっぽうい》の端で口を拭《ぬぐ》っているときお千代は少し顔を赭《あから》めた。お絹は姉の肩越しに、アンディーヴの鉢を覗き込んだが、
「鼈四郎さん、それ取っといてね、晩のご飯のとき食べるわ」
そういった。
巻煙草《まきたばこ》を取出していた鼈四郎《べつしろう》はこれを聞くと、煙草を口に銜《くわ》えたまま鉢を掴《つか》み上げ臂《ひじ》を伸して屑箱《くずばこ》の中へあけてしまった。
「あらッ!」
「料理だって音楽的のものさ、同じうまみがそう晩までも続くものか、刹那《せつな》に充実し刹那に消える。そこに料理は最高の芸術だといえる性質があるのだ」
お絹は屑箱の中からまだ覗《のぞ》いているアンディーヴの早春の色を見遣《みや》りながら
「鼈四郎の意地悪る」
と口惜しそうにいった。「おとうさまにいいつけてやるから」と若い料理教師を睨《にら》んだ。お千代も黙ってはいられない気がして妹の肩へ手を置いて、お交際《つきあ》いに睨んだ。
令嬢たちの四つの瞳《ひとみ》を受けて、鼈四郎はさすがに眩《まぶ》しいらしく小さい眼をしばたたいて伏せた。態度はいよいよ傲慢《ごうまん》に、肩肘《かたひじ》張って口の煙草にマッチで火をつけてから
「そんなに食ってみたいのなら、晩に自分たちで作って食いなさい。それも今のものそっくりの模倣じゃいかんよ。何か自分の工風《くふう》を加えて、――料理だって独創が肝心だ」
まだ中に蔬菜《そさい》が残っている紙袋をお絹の前の台俎板《だいまないた》へ抛《ほう》り出した。
これといって学歴も無い素人出の料理教師が、なにかにつけて理窟を捏《こ》ね芸術家振りたがるのは片腹痛い。だがこの青年が身も魂も食ものに殉じていることは確だ。若い身空で女の襷《たすき》をして漬物樽《つけものだる》の糠《ぬか》加減《かげん》を弄《いじ》っている姿なぞは頼まれてもできる芸ではない。生れ附き飛び離れた食辛棒《くいしんぼう》なのだろうか、それとも意趣があって懸命にこの本能に縋《すが》り通して行こうとしているのか。
お絹のこころに鼈四郎がいい捨てた言葉の切れ端が蘇《よみがえ》って来る。「世は遷《うつ》り人は代るが、人間の食意地は変らない」「食ものぐらい正直なものはない、うまいかまずいかすぐ判る」「
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