じゃ」と互いに舌を巻いた。
 起伏表裏がありながら、また最後に認め合うものを持つ二人の交際は、縄のように絡《から》み合い段々その結ぼれを深めた。正常な教養を持つ世間の知識階級に対し、脅威を感ずるが故に、睥睨《へいげい》しようとする職人上りで頭が高い壮年者と青年は自らの孤独な階級に立籠《たてこも》って脅威し来るものを罵《ののし》る快を貪るには一あって二無き相手だった。彼等は毎日のように会わないでは寂しいようになった。
 鼈四郎は檜垣の主人に対しては対蹠的《たいしょてき》に、いつも東洋芸術の幽邃高遠《ゆうすいこうえん》を主張して立向う立場に立つのだが、反噬《はんぜい》して来る檜垣の主人の西洋芸術なるものを、その範とするところの名品の複写などで味わされる場合に、躊躇《ちゅうちょ》なく感得されるものがあった。檜垣の主人が持ち帰ったのは主にフランス近代の巨匠のものだったが、本能を許し、官能を許し、享受を許し、肉情さえ許したもののあることは東洋の躾《しつけ》と道徳の間から僅にそれ等を垣間《かいま》見させられていたものに取っては驚きの外無かった。恥も外聞も無い露《む》き出しで、きまりが悪いほどだった。「こいつ等は、まるで素人じゃねえ、」鼈四郎は檜垣の主人に向ってはこうも押えた口を利くようなものの、彼の肉体的感覚は発言者を得たように喝采《かっさい》した。
 彼はこの店へ出入りをして食べ増した洋食もうまかったし、主人によっていろいろ話して聴かされた西洋の文化的生活の様式も、便利で新鮮に思われた。
 鼈四郎はこれ等の感得と知識をもって、彼の育ちの職場に引返して行った。彼は書画に携る輩《やから》に向ってはデッサンを説き、ゴッホとかセザンヌとかの名を口にした。茶の湯生花の行われる巷《ちまた》に向っては、ティパーティの催しを説き、アペリチーフの功徳を説き、コンポジションとかニュアンスとかいう洋名の術語を口にした。
 東洋の諸芸術にも実践上の必需から来る自らなるそれ等にあって、ただ名前と伝統が違っているだけだった。それゆえ、鼈四郎のいうことはこれ等に携る人々にもほぼ察しはつき、心ある者は、なんだ西洋とてそんなものかと嵩《たか》を括《くく》らせはしたが当時モダンの名に於て新味と時代適応性を西洋的なものから採入れようとする一般の風潮は彼の後姿に向っては「葵祭《あおいまつり》の竹の欄干《てすり》で」
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