だけは亦ときどき口に洩《もら》しながら、最小限度のつもりにしろ、食べもの漁《あさ》りはやめなかった。
 少青年の頃おいになって鼈四郎は、諸方の風雅の莚《むしろ》の手伝いに頼まれ出した。市民一般に趣味人をもって任ずるこの古都には、いわゆる琴棋書画の会が多かった。はじめ拓本職人の老人が出入りの骨董商《こっとうしょう》に展観の会があるのを老人に代って手伝いに出たのがきっかけとなり、あちらこちらより頼まれるようになった。才はじけた性質を人臆《ひとおく》しする性質が暈《ぼか》しをかけている若者は何か人目につくものがあった。薄皮仕立で桜色の皮膚は下膨《しもぶく》れの顔から胸鼈へかけて嫩葉《わかば》のような匂《にお》いと潤いを持っていた。それが拓本老職人の古風な着物や袴《はかま》を仕立て直した衣服を身につけて座を斡旋《あっせん》するさまも趣味人の間には好もしかった。人々は戯れに千の与四郎、――茶祖の利休の幼名をもって彼を呼ぶようになった。利休の少年時が果して彼のように美貌《びぼう》であったか判らないが、少くとも利休が与四郎時代秋の庭を掃き浄《きよ》めたのち、あらためて一握りの紅葉をもって庭上に撒《ま》き散らしたという利休の趣味性の早熟を物語る逸話から聯想《れんそう》して来る与四郎は、彼のような美少年でなければならなかった。与えられたこの戯名を彼も諾《あまな》い受け寧《むし》ろ少からぬ誇りをもって自称するようにさえなった。
 洒落《しゃ》れた[#「洒落《しゃ》れた」は底本では「洒落《しゃれ》れた」]お弁当が食べられ、なにがしかずつ心付けの銭さえ貰えるこの手伝いの役は彼を悦《よろこ》ばした。そのお弁当を二つも貰って食べ抹茶も一服よばれたのち、しばらくの休憩をとるため、座敷に張り廻《めぐ》らした紅白だんだらの幔幕《まんまく》を向うへ弾《は》ね潜って出る。そこは庭に沿った椽側《えんがわ》であった。陽《ひ》はさんさんと照り輝いて満庭の青葉若葉から陽の雫《しずく》が滴っているようである。椽も遺憾なく照らし暖められている。彼はその椽に大の字なりに寝て満腹の腹を撫《な》でさすりながらうとうとしかける。智恩院聖護院の昼鐘が、まだ鳴り止まない。夏霞《なつがすみ》棚引きかけ、眼を細めてでもいるような和《なご》み方の東山三十六峯。ここの椽に人影はない。しかし別書院の控室の間から演奏場へ通ずる中廊下には人
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