たといふ。それが段々整理されて現在では八十八星座が公認されてゐる。古代から伝はる星座の名称を調べて見ると、昔の星座の名の方が何となく詩的で、例へばその中には、牛飼ひ、冠、琴、白鳥、乙女、といふやうなロマンチツクなものから、狼、大熊、小熊、海蛇、などの怖ろしい動物に見立てたものまであるが、十八世紀以後の星座名は、八分儀、定規、望遠鏡、軽気球、竜骨等機械が多いのは、文明の変遷が人間の空想の範囲にまで侵入してゐて面白い。
 私は、ヱジプトに旅をした時、一夜、首都カイロから自動車でギゼーのピラミツドを訪れた。それは恰度日本の秋を思はせるやうな涼しい星月夜であつた。駱駝に乗つてピラミツドの周辺を逍遥しての帰るさ立寄つたホテルの露台の籐椅子にもたれて私は埃及の空に輝く星々を心ゆくまで眺めることが出来た。日本などでは到底肉眼では見ることの出来ない星が小さいながらもはつきり輝いてゐる。黒々と屹立するピラミツドの頂点辺りに一際大きく光つてゐたのは古代埃及人が一番尊敬した天狼星でもあらうか。ヱジプトでは四年に一度天狼星が日の出と同時に現はれるので、かうした天文現象の文献が古代埃及の年代を計算する一助となつてゐるといふことである。
 私は埃及の星空を眺め乍ら、私の知つてゐる限りの星座の名を想ひ出して、それを探し求めた。しかし、星座図が手元になかつたのではつきり見極めがつかなかつたが、どうやらそれらしいものをいくつか発見することは出来た。だがそれよりも私は自分で星と星との間に勝手な線を描いて、自分の好むままの空想図を組み立てて見ることの方が一層楽しかつた。東京の留守宅の半面図を描くことも、日本からヱジプトまで来た私の足跡を地図に描くことも出来た。
 星を眺めてゐると、星と語つた古代人の稚純な気持ちが、自分にも見出されるやうな気がする。
 秋の晴れた夜、私は星と語りによく家の屋上に昇つて行く。北の空には柄杓のかたちをした北斗七星がその柄杓の柄を東に向けて横たはつてゐる。それと少し離れて北極星が一際鮮やかに輝いてゐる。他の星が悉く夜毎に少しづつ位置を変へて行くのに北極星だけはいつも同じ位置にゐる。地軸の北端の真上にある北極星は小熊星座の主星である。この星座の形が小熊を聯想させるとは私にはどうしても受取れないが、小熊といふ名はいかにも北極の星らしく、その光質までが白光を帯びてゐるやうである。
 北極星を眺めてゐると、海辺から帰る鵜烏が一羽、二羽、淋しい啼声をたてながら星空をかすめ去る。地上には薄の穂が夜目にも白く風に靡いてゐる――秋の夜の星空は四季を通じて一ばん私たちに親しく懐しく感ぜられる。



底本:「日本の名随筆 別巻16 星座」作品社
   1992(平成4)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第14巻」冬樹社
   1977(昭和52)年5月
入力:葵
校正:土屋隆
2006年5月3日作成
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