「この土地は小野の小町の出生地の由縁《いわれ》から、代々一人はきつと美しい女の子が生れるんですつて。けれどもその女の子は、小町の嫉みできつと夭死するんですつて」
「ほゝう!?」
少女は漸く、気に入つた開花を見付けて、ぢつと眺め入つてゐた。それから、また眼を上げて君助の顔を見た。下ぶくれの下半面についてゐる美事な唇に艶が増して来る。
「?」
「をぢさま、人間ていふものは、死ぬにしても何か一つなつかしいものをこの世に残して置き度《た》がるものね。けども、あたしにはそれがないのよ」
然《しか》し、さういひながらも少女は情熱に迫られたやうに、矢庭に顔を芍薬に埋めて摘んだ花に唇を合せた。紫に光る黒髪がぶる/\慄へてゐる。君助は、そつと片唾《かたず》をのんだ。
花から唇を離した少女の顔は青白く冴えてゐた。見るさへたゆげに肩を落し、後向くと夕風の吹く方向へ急に病気らしい咳をせき込みながら、白い踵をかへして消えるやうに神祠の森蔭へかくれて行つて仕舞つた。
失神したやうになつてゐた君助は、やがて気がつくと少女が口づけた芍薬の花を一輪折り取つた。彼は酔ひ疲れた人の縹渺たる足取りで駅へ引き返した。君助は東京へ帰つてから、かなり頭が悪くなつたといふ評判で、学界からも退き、しばらく下手な芍薬作りなどして遊んでゐるといふ噂だつたが、やがて行方不明になつた。
底本:「花の名随筆6 六月の花」作品社
1999(平成11)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第一巻」冬樹社
1974(昭和49)年9月第1刷発行
※混在する「良実」と「良真」は、ママとした。
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
200年4月24日作成
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