案内して二階へ上って来た。
「さあ、政枝、お待ち兼ねの華岡先生がいらっしたよ」
 寛三は娘の顔と華岡医師の顔とを等分に見た。寛三はこの頃政枝がしきりに若い医師に無理にまつわりつくような様子が見え出したのに、今日も気兼ねをしていた。
「だって、先生は直《す》ぐ帰ってしまうもの、来ないと同じだわ」
 と呟《つぶや》いて、政枝は頸をひねって一寸髪に手をやり、掛け毛布の下で細い体を妙にくねらせた。その嬌羞《きょうしゅう》めいた仕草が多可子を不意に不快にした。見れば耳の附根や頸すじに薄ら垢《あか》が目に附く病少女のくせに、今まで丸鋸の音があんなにも堪えられないとかん[#「かん」に傍点]をたてていた病少女が、けろりとして男の前で無意識にも女らしさを見せる恰好《かっこう》が、無意識であるだけ余計に強く早熟な動物的本能のようなものを感じさせて多可子を不快にした。多可子は結核の子供は結核菌の毒素の刺戟で早熟になるということは何かで読んだことがあった。それを眼のあたり見ることは嫌なものだと思った。
 そして政枝の態度に対する華岡の応待が妙に多可子は気になった。
「いや、今日は少し長くいるよ」
 華岡はすねた政枝の肩に手をかけて自分の方へ振り向かせ、笑いながら体温を計り始めた。政枝はちらっと華岡の顔を覗いた後、直ぐ眼を伏せて云った。
「ゆうべ先生の夢を見たわ」
「どんな夢だった」
 華岡は診察も忘れて相手になっている。
「とてもいい先生だったわ。一日中私のそばにいて呉れましたもの」
 本当とも皮肉とも判らぬ政枝の話に華岡は返事の仕様もなく、多可子や寛三の方を見た。多可子はまさに死んで行こうとする少女が、漸く兆《きざ》し初めた性の本能をわずかに自分の身辺に来る一人の男性である華岡医師に寄せ掛けているのを考えると不憫であった。けれどもそれが多可子の見る眼の前の光景であるのは堪らなく多可子には我慢出来ないような光景であった。その相手になっている華岡医師をまともに見るのも不愉快だった。自分だけはこんな少女の醸《かも》し出すセンチメンタルな甘えた雰囲気の中に捲き込まれるのはまっぴらだと思った。多可子は下膨れのした白い丸顔を幾分引き締めて、前窓の敷居を見詰めていた。だがやっぱり心の中ではまさに萎縮しようとする生命の営みの急しさ――政枝が自分に甘えかかるのも頼み切るのも、死んで行く前の現実から少しでも
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング