競つて盛上つてゐる。碧青や、浅黄をまぜて、大空は仰ぐ眼をうつとりさせる。寛いだ白雲は悠々と歩を運ばしてゐる、そこにはなほ光と匂と微風の饗宴がある。

 食物には、筍は孟宗のシユンは過ぎて淡竹|真《ま》竹の歯切れのよい品種が私たちを迎へる。魚類はそろそろ渓川の※[#「さんずい+肅」、第4水準2−79−21]洒な細鱗が嗜味の夢に入る、夕顔の苗に支柱を添へ、金魚の鉢に藻を沈めてやる、いづれも、季節よりの親しみである。

 この際、忙中寸暇を割いて、座つて落ち付いて見る、場所はあまり物を置かない庭向きの座敷がいい、新茶の一椀を啜つて見るのもいい、これは決して贅沢でも閑人でもない。そこに、何ものか洗ひ浄められ慰められ、その下からひしひしと心に湧き上つて来るものがある筈である。生活行進曲の新譜である。人は季節の黙示に対して詩人であるところの素質と権利を持つてゐる。真の詩人とは万物に即して生活力の源泉を見出す人をいふ。



底本:「日本の名随筆 別巻14 園芸」作品社
   1992(平成4)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十二巻」冬樹社
   1976(昭和51)年9月

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