人と合はない傾向を自分自身に気付いて、それを淋しいものと思つた。
そのやうな字の傾向は、確かに年少の私が字を習ひ始めに養育母がその緒を与へたからだと言へば言へるが、私自身の生れつきにも原因があつた。今に至るも私は不器用で、物ごとをすら/\運ぶことが出来ない性質である。世の多くの人※[#二の字点、1−2−22]は経験を積むことによつて着※[#二の字点、1−2−22]熟練上達し、同じことをなすには無意識でも反射的に手際よくすることが出来る。ところが、私は、幾度同じことを繰返しても、その都度、全く新奇なことにぶつかつたやうに思へて、全意識を傾倒しなければならない。だから私には、物ごとを経験熟練により反射的に手早く取片づけることは出来ないのである。字もまた、幾度習つても前と決して同じやうな字がすら/\書けない。私は仮名まで漢字を使つてしかつめらしい字を書いた。
それとまた、幼女時代、はにかみ屋で、控へ目勝ちだつた私は、異常に無口であつたから、言葉によつて表現出来ない鬱屈した感情の吐け口を無意識にも、字に求めたらしいことが今の私の記憶に照し合せて判断される。されば、その鬱情を乗り移らせるのに勢ひ大きな、貫禄のありさうな漢字を好んで書いたものであつたらう。今から思へば、自分の事ながら、いぢらしい気がする。
さやうにして、気分も違ひ、意気込みも違ふに従つてその時時の字を書いた。書かれた字は私の精魂を反映してゐて、慰めになつた。私は終日、年に似合はぬ意味も判らぬ難字――その方が感情を載せるのに収容力の余地があるやうな気がして――を書き続けるのであつた。紙をはづれて、手も机も畳までも墨で汚しながら。養育母は却つてそれを喜びながら、後で雑巾がけをして呉れた。
私より三つ上の兄は、小学校の日曜休み毎に東京市内の渋谷に住む鳴鶴流[#「流」に「ママ」の注記]の大家近藤雪竹先生の許に出向いて書を習つてゐた。家へ帰つて来て練習する母屋の方へ出向いて、それを見付けた私は、そこでも兄に負けないで一緒に習字することを思ひ立つた。私達は競争で大文字の千字文から、しまひには手に余るやうな太い筆を持つて旗や幟の字まで書いたりした。
女学生時代となつて、当時、小野鵞堂先生の人気素晴らしかつた。誰も彼も、その流麗な字を真似た。だが私は、それに向ふ気が起らなかつた。幼時から漢の字風の固い字を書きつけてゐ
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