の女はこの青年がいよいよ不思議に思えた。
かの女は居坐りを直し、寒くもないのに袖を膝に重ねて青年の性《しょう》の知れない寂寞が身に及ばないような防ぎを心に用意した。
かの女の家は元来山の手にあるのだったが、腺病質から軽い眼病に罹り、大学病院へ通うのに一々山の手の家から通うのも億劫なので、知合いのこの根津の崖中の邸へ老女中と一緒に預けられたのであった。
かの女は女学校を出たばかりであった。両親はあまり内気な性質のかの女に、多少世間を見させようとする下心もあって、他人の屋根の下に暮らさせるためだった。去年大学を出た同じく内気な性分のかの女の兄が、この界隈に下宿させられてから、幾分ひらけたということも好もしい前例として両親の考の根にあった。青年は以前兄と同じ下宿にいた上野の美術学校の卒業期の洋画科生である。青年は下町にある自宅が大家族でうるさいので、勉強の都合上家を出て、下宿から学校に通っているのだそうである。兄は青年が酒をかなり飲む以外、生活に浮いたところも見えず、一種のニヒリスチックなところ(だが、それゆえに青年の画は青年の表面に現われた性格より余程深刻なニュアンスを持つと云っていた)よりほか、性癖に変った箇所もないと兄は云っていた。むしろ表面はごく捌《さば》けた都会っ子で、偏屈な妹には薬になるかも知れない。当人も妹のことを聞いて、その病的に内気なところに興味を持ち、頻《しき》りに紹介を頼むことだから、まあ会って見給えというほどのことだった。こういう青年を妹に何の気づかいも無く紹介して間もなく兄はフランス遊学の長途の旅に立って行った。青年は夜になると庭から入って来た。かの女が夕飯を済まして、所在なさに眼のほうたい[#「ほうたい」に傍点]を抑え乍《なが》ら歌書や小説をばあやに拾い読みして貰っていると、庭の裏木戸がぎしいと開き、庭石に当る駒下駄の音が爽やかに近づいて、築山の桃葉珊瑚《あおき》の蔭から青年は姿を現わした。
闇の中から生れ出る青年の姿は、美しかった。薩摩絣《さつまがすり》の着物に対の羽織を着て、襦袢の襟が芝居の子役のように薄鼠色の羽二重だった。鋭く敏感を示す高い鼻以外は、女らしい眼鼻立ちで、もしこれに媚を持たせたら、かの女の好みには寧《むし》ろ堪えられないものになるであろうと思われた。併《しか》し、青年の表情は案外率直で非生物的だった。
青年のほのか
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