がら水沫《しぶき》を跳ね飛ばして他愛もなく遊んでいます。あまりの爽快《そうかい》さに時の経つのも忘れていました。すると、いつの間にか寺の方の岸には僧達が並《なら》んで、呆《あき》れた声で騒《さわ》ぎ出しました。
「昭沙弥じゃないか」
「水中でおなご[#「おなご」に傍点]と戯《たわむ》れとる」
「いやはや言語道断な仕儀《しぎ》だ」
三
僧たちはすぐ昭青年を掴《つか》まえて、裸《はだか》のまま方丈《ほうじょう》へ引立てて行きました。しかし、さすがに僧たちも、裸の姫には手を触れかね、躊躇《ちゅうちょ》している暇《ひま》に姫はびっくり[#「びっくり」に傍点]して苫船の中へ逃《に》げ込み、着物を冠《かぶ》って縮んでいました。
僧たちの訴《うった》えを静かに瞑目《めいもく》して聴いていた住持三要は、いちいちうなずいていましたが最後に、
「判った。だが、昭公が一緒に居たのは、確《しか》とおなご[#「おなご」に傍点]かな。鯉魚《りぎょ》をおなごと見誤ったのではないかな」
「そんな馬鹿な間違《まちが》いが」と、いきり立つ僧を押《おさ》えて三要は言いました。
「おなご[#「おなご」に傍点]か鯉魚かわしが見んことには判らん。これは一つ昭公と大衆《だいしゅ》と法戦《ほっせん》をして、その対決の上で裁くことにしよう。早速《さっそく》、鐘を打つがよろしい。双方《そうほう》、法堂へ行って支度をしなさい」
三要はこう言ってじろりと昭青年を見ました。もはや諦めて既《すで》に覚悟《かくご》の態《てい》であった昭青年が、この眼に出会って思わず心に湧《わ》き出た力がありました。それは自分だけの所罰《しょばつ》なら何でもない。しかし、沙弥とは言え、寺門に属する自分を誘惑した罪科として、あのかよわい[#「かよわい」に傍点]姫まで罰せられるとも知れない。これは一つ闘《たたか》おう。その勇気でありました。昭青年は思わず低頭|合掌《がっしょう》して師を拝しました。その時、もう知らん顔で三要は座を立ち法堂へ急ぐ様子でした。
四
法戦が始まりました。曲※[#「碌のつくり」、第3水準1−84−27]《きょくろく》に拠《よ》る住持の三要は正面に控《ひか》え、東側は大衆大勢。西側に昭青年一人。問答の声はだんだん高くなって行きます。衣の袖を襷《たすき》に結び上げ、竹箆《しっぺい》を斜《しゃ》に構えた僧も二三人見えます。もし昭青年がちょっとでも言葉に詰《つ》まったら、いたく打ちのめし、引き括《くく》って女と一緒に寺門|監督《かんとく》の上司へ突出《つきだ》そうと、手ぐすね引いて睨《ね》めつけています。
大衆が入り代り立ち代り問い詰めても、昭青年はただ
「鯉魚」と答えるだけでした。
「仏子、仏域を穢《けが》すときいかに」
「鯉魚」
「そもさんか、出頭、没溺火坑深裏」
「鯉魚」
「這《しゃ》の田舎奴《でんしゃぬ》、人を瞞《まん》ずること少なからず」
「鯉魚」
「ほとんど腐肉《ふにく》蠅《よう》を来《きた》す」
「鯉魚」
これでは全く問答になっていません。大衆はのっけ[#「のっけ」に傍点]に打ってかかってもいいようなものの、昭青年の意気込みには、鯉魚と答える一筋の奥《おく》に、男が女一人を全面的に庇《かば》って立った死物狂《しにものぐる》いの力が籠《こも》っています。大概《たいがい》の野狐禅《やこぜん》では傍へ寄り付けません。大衆は威圧《いあつ》されて思わずたじたじとなります。
そのうち昭青年の心理にも不思議な変化が行われて来ました。はじめ昭青年は、問答に当って禅の古つわもの[#「つわもの」に傍点]との論戦に、あれこれ言ったのではかえって言いまくられるであろうから、勝負は時の運に任して、幸い師の三要から暗示《ヒント》を与えられた鯉魚の二字を守って、守り抜《ぬ》こうと決心したのですが、どの問いに対しても鯉魚鯉魚と答えていると、不思議にもその調法さから、いつの間にか鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が籠っているのに気が付いて、脱然《だつぜん》、昭青年の答え振りは活《い》きて来ました。青年は、あるいは「釜中《ふちゅう》の鯉魚」と答え、あるいは「網《あみ》を透《とお》る金鱗《きんりん》」と答えはするが、ついに鯉魚あるを知らず、おのれに身あるを知らず、眼前に大衆あるを知らずして、問いに対する答えの速《すみや》かなること、応変自由なること、鐘の撞木《しゅもく》に鳴るごとく、木霊《こだま》の音を返すがごとく、活溌《かっぱつ》、轆地《ろくち》の境涯《きょうがい》を捉《とら》えました。こうなると大衆はだんだん黙《だま》ってしまって、ただただ驚嘆《きょうたん》の眼を瞠《みは》るのです。にっこり[#「にっこり」に傍点]と笑った三要は払子《ほっす》を打って法戦終結を告げ、勝負は強いて言わずに、次の言葉を発しました。
「昭公が、いま、別の生涯あるを知ったのは、永い間、生飯を施《ほどこ》した鯉魚の功徳《くどく》の報いだ。昭公に過ちがあったのは、わしの不徳の致《いた》すところだ。まあ、この辺で事件は落着にしてもらいたい」
昭青年はこれを機として落髪《らくはつ》して僧となり、別に河辺《かわべ》に鯉魚庵《りぎょあん》を開いて聖胎長養《せいたいちょうよう》に入ったが、将来名器の噂が高い。
恋愛《れんあい》関係において一方が悟《さと》ってしまったら相手は誠に張合いの無いものとなります。悟るということは、生命の遍満性、流通性を体証したことで、一|匹《ぴき》の鯉魚にも天地の全理が含《ふく》まれるのを知ると同時に、恋愛のみが全人生でなく、そういう一部に分外に滞《とどま》るべきでないとも知ることです。
そのうちに諭《さと》さなくとも早百合姫は、道に志ある身となって、しかし、これは逆に塵中《じんちゅう》へ引返し、舞《ま》いの天才を発揮して京町の名だたる白拍子《しらびょうし》となりました。さす手ひく手の妙《たえ》、面白の振りの中に錆《さ》びた禅味がたゆとう[#「たゆとう」に傍点]とて珍重《ちんちょう》されたのは、鯉魚庵の有力な檀越《だんおつ》となって始終、道味聴聞《どうみちょうもん》の結果でありました。
この後、住持三要は、間違いがあってはならぬというので、淵の鯉魚へ生飯を遣《や》る役は老体ながら自分ですることにしました。そこで淵の鯉魚は、再び、斎の鐘を聴くと寺前の水面に集って待つようになりました。
[#地から1字上げ](昭和十年八月)
底本:「ちくま日本文学全集 岡本かの子」筑摩書房
1992(平成4)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
入力:ゆいみ
校正:岩田とも子
1999年9月7日公開
2005年11月30日修正
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