をまじまじ見ているのだった。私は見られていると意識するときに、ちょっとてれた[#「てれた」に傍点]気持もしないではないが、然しまるで草木のような感じしかない少女が一人、傍にいたとて別に気分の障《さわ》りにはならなかった。
私はその頃、ダルクローズの舞踊体操に凝《こ》っていた。で、仕事に疲れて来ると忽《たちま》ち室内着を脱ぎ捨てスポーツシャツ一枚の姿で縁側でトレーニングをやった。私の肉体は相当鍛えられていたから四肢の活躍につれ、私の股や腕にギリシャの彫刻に見るような筋肉の房が現われた。私自身自分の女の肉体に青年のような筋肉の隆起が現われることに神秘的な興味を持ったのだが、気がつくと、これに瞠《みい》っている少女の瞳は燃ゆるようだった。彼女は見つめて三昧《さんまい》に入り、ぶるぶると身ぶるいさえすることがあった。私はこれを思春期の変態の現われじゃないかと嫌な気がしたが、そうではないらしかった。健康なものを見て、眼から生気を吸い込もうとする衰亡の人間の必死の本能だった。私が運動を終ると、あえぐものが水を飲んだときのように彼女は咽喉を一つ鳴らし「もうもう本当にいい気持でしたわ」と襟元《えりもと》を叩いた。
二週間ほどの滞在中一度だけ私は娘を散歩に連れて出てやった。日の当る砂丘の蔭に浜防風が鬱金色《うこんいろ》の芽を出していた。娘は細い指先でそれを摘まみ集めながら私にいった。「ねえ、お姉さま。わたくしいつお姉さまのように活々《いきいき》した女になって、恋が出来るのでしょうか」私は答えた。「ばか、恋はうかうかしてしまってから気が付くもんだよ。前にかれこれ考えるものじゃないよ」娘は、はーと吐息をついた。私は焦立《いらだ》っていった。「自分の事ばかり気苦労してないで、向うをご覧。海があるだろう。富士があるだろう。春じゃないか」旧正月を祝うとて浜に引揚げられた漁船には何れもへんぽん[#「へんぽん」に傍点]として旗が飜っていた。砂丘の漁夫の車座から大島節も聞えた。私たちは別荘へ帰ってその夜の晩飯には、娘の摘んだ浜防風と生のしらすと酢のものにしたのを食べた。思いなしか、娘は日ごろより少し多く飯茶碗の数を重ねた。
それから三年ほど経って、その娘は結婚した。今は憎らしいほど丸々肥って子供の二、三人も出来た。毎年正月のためとて浜防風と生のしらすは欠かさず送って来る。
ゆき子へ
ゆき子。山からの手紙ありがとう。蜜月《ハネムーン》の旅のやさしい夫にいたわられながら霧の高原地で暮すなんて大甘の通俗小説そのままじゃないか。たいがい満足していい筈だよ。今更、私をなつかしがるなんて手はないよ。第一誤解されてもつまらないし、人によっては同性愛なんてけち[#「けち」に傍点]をつけまいものでもなし――結婚したら年始状以外に私へ文通するでは無いと、結婚前にあれほどくどく言ったじゃないか。それにもうよこすなんてこの手紙の初めについお礼を一筆書いては仕舞ったようなものの私はおこるよ。
改めて言うまでもなく、あなたを嘗《かつ》て私の傍に、すこしの間置いといてやったのは、あなたの親達から頼まれたからであるけれど、私があなたを一目見て、あんまりあなたが貧弱なのに義憤を感じたからさ。なぜと言って、あなたの身体は紙縒《こより》のようによじれていたし、ものを言うにも一口毎に息を切らしながら「おねえさま、あたくしこれで恋が出来ましょうか」と心配そうにいってたじゃないか。私は歯痒《はがゆ》くて堪《たま》らなくなって私の健康さを見せびらかし、私の強いいのち[#「いのち」に傍点]の力をいろいろの言葉にしてあなたの耳から吹き込んでやった。そのせいか、あなたはだんだん元気になり、恋愛から結婚へ――とうとう一人前の女になった。
あなたは一人前の女になった。私は同じ女性として助力の義務を尽した。もうそれで好い、それ以上私はあなたに望まれ度くない。
あなたは私が都に一人ぽっち残ってさぞ寂しかろうと同情する。よしてお呉れ、私は人から同情を寄せられるのは嫌いだ。寂しいことの好きなのは私の性分だ。けれども断って置きますが、私の好きなのは豪華な寂しさだ。
私は好んで私を愛する環境から離れて居たがる。一人、私は自分の体を抱く、張り切る力で仕事のことを考える。自分の価値につくづくうたれる。だがこれは病理学でいう「自己陶酔症《ナルチスムス》」などいう病的なものではないよ。自分の生命力を現実的にはっきり意識しながら好んで自分を孤独に置く――この孤独は豪華なぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]なものなのだよ。もう判ったか、ゆき子。判ったらもう私をなつかしがる手紙など書くな、お前の良人《おっと》に没頭するのだ。
底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月
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