はっきり割り切ろうとしていたからなあ」
「そうだ、ここのように純粋の軍需品会社でもなく、平和になればまた早速に不況になる惧《おそ》れのあるような会社は見込みがないって言ってたよ」
山岸は辺りへ聞えよがしに言った。彼も不満を持ってるらしかった。
「あの人は今度、どこへ引っ越したの」
加奈江はそれとなく堂島の住所を訊き出しにかかった。だが山岸は一寸|解《げ》せないという顔付をして加奈江の顔を眺めたが、直ぐにやにや笑い出して
「おや、堂島の住所が知りたいのかい。こりゃ一杯、おごりものだぞ」
「いえ、そんなことじゃないのよ。あんたあの人と親友じゃないの」
加奈江は二人の間柄を先《ま》ず知りたかった。
「親友じゃないが、銀座へ一緒に飲みに行ってね、夜遅くまで騒いで歩いたことは以前あったよ」
「それなら新しい移転先き知ってるでしょう」
「移転先って。いよいよあやしいな、一体どうしたって言うんだい」
加奈江は昨日の被害を打ち明けなくては、自分の意図が素直に分って貰えないのを知った。
「山岸さんは堂島さんがこの社を辞めた後もあの人と親しくするつもり。それを聞いた上でないと言えないのよ」
「いやに念を押すね。ただ飲んで廻ったというだけの間柄さ。社を辞めたら一緒に出かけることも出来ないじゃないか。もっとも銀座で逢えば口ぐらいは利くだろうがね」
「それじゃ話すけれど、実は昨日私たちの帰りに堂島が廊下に待ち受けていて私の顔を撲ったのよ。私、眼が眩《くら》むほど撲られたんです」
加奈江はもう堂島さんと言わなかった。そして自分の右手で顔を撲る身振りをしながら眼をつむったが、開いたときは両眼に涙を浮べていた。
「へえー、あいつがかい」
山岸もその周《まわ》りの社員たちも椅子から立上って加奈江を取巻いた。加奈江は更に、撲られる理由が単に口を利かなかったということだけだと説明したとき、不断おとなしい彼女を信じて社員たちはいきり出した。
「この社をやめて他の会社の社員になりながら、行きがけの駄賃に女を撲って行くなんてわが社の威信を踏み付けにした遣《や》り方だねえ。山岸君の前だけれど、このままじゃ済まされないなあ」
これは社員一同の声であった。山岸はあわてて
「冗談言うな。俺だって承知しないよ。あいつはよく銀座へ出るから、見つけたら俺が代って撲り倒してやる」
と拳をみんなの眼の前で振って
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