つた。彼はやゝ下膨《しもぶく》れの瓜実顔《うりざねがお》の、こんもり高い鼻の根に迫らぬやう切れ目正しくついてゐる両眼の黒い瞳に、長い睫毛《まつげ》を煙らせて、地を見入つてゐるときには、何を考へてゐるか誰も察しがつかなかつた。桐《きり》の花のやうに典雅でつくねん[#「つくねん」に傍点]とした美しさが匂つた。声も鋭さを鞣《なめ》して楽しい響きを持つてゐた。彼はいつでも不機嫌に近く黙つて孤独で、地へ向けて長い睫毛を煙らせてゐた。雪子は新しく家族の仲間に加はつた自分に対し、若い女性に対し、何の影響をも示さないこの少年に、焦立《いらだ》たしさと、不満を含まないわけにはゆかなかつた。
だが、その美しさには雪子も呆然《ぼうぜん》として息を吐いた。父は梅麿を自分の蒐集物《しゅうしゅうぶつ》の愛玩《あいがん》品の中に数へ、しかもその中で最も気に入つた一つのものゝやうに、書斎で、庭で、二人は大概一緒だつた。そして父はこの息子に下手《したて》からお世辞を使ふ態度を取つてゐた。梅麿は父がお世辞を使ふ気持を見抜いて、とぼけて悠々とお世辞を使はれてゐた。だが決して調子に乗らなかつた。そして、父が理由もなく癇癪《かんしゃく》を起しかけて来ると、少女よりやゝしつかりした綺麗《きれい》な唇を嬌然と笑みかけて、あどけないことを云つたり、親を煽《おだ》てたり、他人の悪口を云つたり、およそ父の弱点が喜びさうなところを衝《つ》いて、素知《そし》らぬ顔で父の気分を持ち直させることに、気敏《けざと》い幇間《ほうかん》のやうな妙を得てゐた。
雪子はいやらしいと思ふ以上に、その技巧の冴《さ》えに驚嘆した。だが、梅麿は父以外にはその手は絶対に使はなかつた。
父の気紛れが、面白くない仕辛《しづら》い仕事を望むときには、梅麿はすーつと脇へ除《よ》けた。夜中に急に風呂を沸かさせたり、椽《えん》の下の奥に蔵《しま》つてある重いものを取出さしたり――さういふときには兄の鞆之助《とものすけ》が、ぶつ/\いふ召使を困りながら指揮して、その衝《しょう》に当つた。
父はこのことを知つてゐて、
「梅は狡《ずる》いやつだ」
といつて笑つたが、その狡さが気に入つてもゐた。
兄の鞆之助は反対に調法の外《ほか》、何から何まで、父の気に入らなかつた。父は兄息子の顔を見るとむつと黙つて仕舞《しま》ふか、癇癪を浴せかけた。命令通り出来上つた
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