、おかみさんの顔をつくづく見るとどちらの力も失せた。おかみさんの顔は言っていた――自分がもし過《あやま》ちでも仕出かしたら、報いても報いても取返しのつかない悔いがこの家から永遠に課されるだろう、もしまた、世の中に誰一人、自分に慰め手が無くなったら自分はすぐ灰のように崩れ倒れるであろう――
「せめて、いのちの息吹きを、回春の力を、わしはわしの芸によって、この窓から、だんだん化石して行くおかみさんに差入れたいと思った。わしはわしの身のしん[#「しん」に傍点]を揺り動かして鏨と槌を打ち込んだ。それには片切彫にしくものはない」
 おかみさんを慰めたさもあって骨折るうちに知らず知らず徳永は明治の名匠加納夏雄以来の伎倆を鍛えたと言った。
 だが、いのち[#「いのち」に傍点]が刻み出たほどの作は、そう数多く出来るものではない。徳永は百に一つをおかみさんに献じて、これに次ぐ七八を売って生活の資にした。あとの残りは気に入らないといって彫りかけの材料をみな鋳直した。「おかみさんは、わしが差上げた簪《かんざし》を頭に挿したり、抜いて眺めたりされた。そのときは生々しく見えた」だが徳永は永遠に隠れた名工である。それは仕方がないとしても、歳月は酷《むご》いものである。
「はじめは高島田にも挿せるような大平打の銀簪にやなぎ[#「やなぎ」に傍点]桜と彫ったものが、丸髷用の玉かんざしのまわりに夏菊、ほととぎす[#「ほととぎす」に傍点]を彫るようになり、細づくりの耳掻きかんざしに糸萩、女郎花《おみなえし》を毛彫りで彫るようになっては、もうたいして彫るせき[#「せき」に傍点]もなく、一番しまいに彫って差上げたのは二三年まえの古風な一本足のかんざしの頸に友呼ぶ千鳥一羽のものだった。もう全く彫るせき[#「せき」に傍点]は無い」
 こう言って徳永は全くくたりとなった。そして「実を申すと、勘定をお払いする目当てはわしにもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました。永いこともないおかみさんは簪はもう要らんでしょうし。ただただ永年夜食として食べ慣れたどぜう[#「どぜう」に傍点]汁と飯一椀、わしはこれを摂らんと冬のひと夜を凌《しの》ぎ兼ねます。朝までに身体が凍《こご》え痺《しび》れる。わしら彫金師は、一たがね一期《いちご》です。明日のことは考えんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細
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