いしょう》してではなくわたくし達はわたくし達の信念を行って居《い》るのですから。
「かの子さんはお嬢様《じょうさま》育ちだから一平《いっぺい》さんが世話をしないと他所《よそ》へ出られないからいつでもついて行って貰《もら》って居る。」
 斯《こ》う云《い》われても嘘《うそ》とは云いません。しかし家の内《なか》では実に私は一平の召使《めしつかい》のような働きをする時がいくらもあるのですから。
 両方で適度に助け合い世話もやかせ合わなければ両者の親愛はむしろ保てないと私の生活意識の一部分が明確に感じて居ます。
 自分の大切な生命力をついや[#「ついや」に傍点]さ無《な》いものに本当の愛念《あいねん》の残るはずはありません。自分の仕事が実にいそがしい主人が、たまにはめんどうと思っても、主人は主人のひま[#「ひま」に傍点]を割《さ》いてわたくしの為《ため》にして呉《く》れます。(他所へつれて出てもらうことより今の処《ところ》別に何も世話はやかせませんが)それが習慣となれば随《したが》って自然にその時々のわたくしへの労力と思って呉れるでしょう。
 元来《がんらい》家事にむかない私が自分の研究の暇《ひま》をさいて、とにかくそれに励《はげ》むようになったのも仕向けられるばかりでは済まないこれによって仕向けて上げようと云う意力《いりょく》から始まった事《こと》です。それから又《また》いくら信念の上に立った親愛同志の同棲者に対してでも、やはり些細《ささい》な観察や評価の眼はにぶらしてはなりません。それは決して其《その》結果によって打算《ださん》的な仕向けをするという卑《いや》しい考えからでは無くて、自分の身辺《しんぺん》を晦《くら》まして置くという手前勝手を許さない事になり、また本当に自分の親愛なものの心を停滞させ腐敗《ふはい》させ無い為のやはり叡明《えいめい》な愛の作業だと思います。時には怒りも憎《にく》みもします。しかしそれは私情の憎みや怒りとは違います。(私情で怒ったり憎《にく》んだりした時は直《す》ぐに私は自分に恥じます。そして対者《あいて》につつしんであやまります。)
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うやうやしき礼《いや》の八千度さかしらのわがひと言はゆるし賜《た》ぶべし。
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 子供に対しての事も一寸《ちょっと》お聞きになったようですね。子供
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