きをむけるのだ。
あゝするどい秋の野の朝景色、
この世はなぜに斯うもうつくしい。
[#地から1字上げ]5 ※[#ローマ数字8、1−13−28] 26

  船乘の歌

黄金《きん》の眼をむく般若《はんにや》の女王は、
邪慳でもない、意地惡でもない、
もつて生れた闊達な氣象で、
よこ波あびせて打つ船舷《ふなばた》、
船はどんどと太鼓打つ。
寢てゐるおれ達をあやすかの樣に、
皆《みんな》に子守唄でもうたつてくれるかのやうに!

ほんとに考へて見れば昨夜《ゆうべ》の荒《しけ》もあれは荒《しけ》でなかつたのかも知れない、
あいつの烈しい氣まぐれに過ぎなかつたのかも知れない。
うるしなす暗間《やみま》を吹きまくつて行く疾風《はやて》、
横沫きなす雨、
おれはその中で甲板を洗ふ波を見た、
波にさらはれた一つの人影を見た、
煙突から吹き散らかす火の子を見た、
斷末魔の病人のお祈りの手のやうに、
無神經に暗間にふられてる二本のマストも見た。

あれはいま皆どこへ行つた、
夢である、
消えてしまひ、しかも胸にいつまでも實在する惡夢である。
夢は實在する、
そして人生は常に變轉する夢にほかならない。

おもうても汗が出る、
あの暑くるしさ、
朱線の印度航路、
紅海の熱湯浴、
あれも夢である、
ただのこる、
あのいきれだつた大氣の心ゆくばかり抱きしめた感覺、
フランス女の淫賣婦《ぢごく》にもまさるあの抱きしめ樣!

海はおれ達を抱《いだ》く、
おれ達をふり動かす、
おれ達をキツスする、
ときには脣を噛む、
咽喉をしめる、
狂氣的に、猛烈に!
ところが今はまた凪いでゐる、
魔睡的な海、
夢見ごこちの海、
おれ達を靜かにあやし、
おれ達を靜かにゆすぶり、
おれ達を靜かにうとつかせ、
おれ達を靜かに熟睡へおくる。

凪いだ空には神でも居睡つてゐさうだ、
ただ青くひろびろと光いつ杯に漲り、
中天にポカンと輝く晝の日の黄金《きん》の、
おれはその黄金《きん》のみでない、
そばに輝く日中の金星も見つけた。

ここでおれ達船乘りの哲學を一つ語らう。
陸の世界は固くるしい、狹まくるしい、重くるしい、
おれ達船乘りには人生は善いもない、惡いもない、
も一つ上手《うはて》の得體《えたい》の知れないものだ、
色氣《いろけ》のない男まさりの處女《きむすめ》の女王、
美しく凄いアマゾンはおれ達のお主《しゆ》だ、

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