力さ! ここに大自然の底の知れない森嚴と壓迫とを内容とする威力が示される。
 人はこの下に膝を屈して「無」の中にぢつと生活するしか術《すべ》がない。それは限りのない「無」である。果てしのない「無」である。しかしこの「無」の中に面《つら》つき合せて默つてゐるしか他に術がないのである。

    2

 眞つくろな空から粉のやうな雪が、誰かの言葉だが、まるで箕《み》から撒くやうに降つてくる。
 廣野の遠くの森がこの雪の中に煙つて見えるのが朝の九時、邊りが軈て雪の他に何ものも見えなくなるのが正午、軈て晩になると、降り積つた雪の重さで、夜の十時頃から家の大屋根の棟が鳴り軋む。幽嚴きはまりない思ひに打たれる。
 外に出て見る。月が中天にかかつて密雲にとざされ、あたりには朦朧とした光を放射してゐる。村の通りも見えず、木も見えず、家も見えない、ただ無數に無限にサラサラと降りつむ煙のやうな、靄のやうな粉雪をおろしてくるだけである。
 こんな晩、その朦朧とした空に虹が出てゐるのを見た覺えがある。

    3

 ……だが恁んな靜かな雪降りは一と季節にもさうたんとない。大抵は吹雪が三日四日、ときには七日も凄まじく吹きつづける。兩方の親指と人差指とで作つた、四角ぐらゐの大きさのガラス窓から、風の轟々と鳴る戸外をのぞいて見る。そこは白晝ながら朦朧として、丁度海の底でも見るやうに薄ぐらく、森の骨まばらな巨木が昆布のやうに根本《ねもと》から搖らめいてゐるのが眼に入る。
 顏を窓から離して、また今までとおなじ姿勢にかへる。わたしはこんな日何も讀まず、朝から書齋の爐のはたに默々としてうづくまつてゐる。晝めしを食べたあとも、また書齋にかへると同じ姿勢で默々としつづけてゐる。別に何も考へるでもない、ただ引きりなしの風音に耳を傾けながら、心のさまよつて行くころは、今の人間の世から何千年か先き、何萬年か先きの原始の境涯である。
 北緯四十二度、時節は一月初め、歐羅巴や北米ゾーンと違つて亞細亞はこの緯度で十分寒く、首都の東京を離れる二百里で、「白色恐怖」は思ひの儘に威力を振ふ。

    4

 人間はこれに對して最初は抵抗する。雪が降るとまるで本能の目ざめのやうに、武者ぶるひして振ひ立つ勇猛な心さへおこる。だが大自然に正面から、そして不用意にあらがうて何の利益のないことは、どんな農民の無智なものも知つて
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